京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)24 |
|
| 北山No.10-1の道標。ここも枝番となっている。仰木峠まで5.4km。
| |
| 居士林齋食道場を過ぎてからは山道となる。
| |
| 先に奥比叡ドライブウェイを歩道橋で跨いだが、今度はドライブウェイ下のトンネルを潜る。
| |
| 玉体杉1.7kmの道標。ここから玉体杉まで、50分程度かかった。暫く東海自然歩道を歩くので、歩きよい道が続く。暑さはそれほどでもない。
| |
| この山道(=東海自然歩道)は“回峰行道”でもあるが、右に奥比叡ドライブウェイが平行しているので、やや調子抜け。
| |
|
8月15日(土)20:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)23 |
|
| 釈迦堂を後にする。仰木峠(おおぎとうげ)まで5.6kmと表示されていた。この峠までは、尾根筋歩きとなる。
| |
| 北山No.9-2の道標。枝番が出てくる。
| |
| 参道に立つ若山牧水の句碑。 「比叡山の 古りぬる寺の 木がくれの 庭の筧を 聞きつつ眠る」。 “筧”とは、地上にかけ渡して水を導く、竹や木の樋 (とい) 。かけどい。
| |
| やがて居士林研修道場が現れる。
| |
| 玄関まで近づいたら、中では研修中(修行中)だった。表札は居士林齋食道場(こじりんさいじきどうじょう)となっていた。
| |
|
8月15日(土)20:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)22 |
|
| 寿塔の傍らに祀られていた石仏たち。中央の石仏は灯籠だろう。真ん中の四角は火袋。
| |
| 石段を降りて「釈迦堂」に到着。
※延暦寺のHPによると、転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれています。延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを豊臣秀吉の命により、文禄四年(一五九六)に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から南北朝の貞和三年(一三四七)と認められます。細部様式もその頃をよく表しており、根本中堂と同じく天台様式の典型で、内陣は土間中央に本尊を安置する宮殿を壇の上に設けています。
| |
| 釈迦堂前は広場になっており、ベンチもあったので、時間は11時半で少し早いが、ここで昼食とした。Y氏によると、この後、適当な昼食場所がないとのことで、ここにはトイレもあった。
| |
| 流石に巨樹が多く見られる。しかし、これらは植林されたもの。
| |
| 一箇所にまとめて祀られていた石仏群。磨耗が激しい。
| |
|
8月15日(土)20:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|
京都トレイル④(ケーブル比叡_戸寺)21 |
|
| 普賢菩薩を本尊とする法華堂。法華三昧を修する。文禄四年(1595)建立。
※デジタル大辞泉によると、「法華三昧」(ほっけざんまい)は仏教用語。法華経を通して真理に悟入する方法。天台宗で、法華経・観普賢経によって真理を観ずること。また、その境地に達するために法華経などを音読すること。
| |
| 先程の説明にあったように、弁慶がこの廊下を天秤棒にしてお堂を担いだという伝説から「にない堂」と呼ばれている。
| |
| 廊下を潜ると、長い石段を降りる。石段の正面に見えるのが「釈迦堂」(転法輪堂)。
| |
| 石段の途中に円戒国師寿塔や幾つかの石仏が見えたので立ち寄る。
※寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓です。この塔は、円戒国師・慈摂大師真盛上人(一四四三~一四九五)が、最初建立された。上人は、西塔南上坊で二十年間修学されていたが、十年間におよぶ応仁文明の大乱でおきた世の惨状を見るに忍びず、遂に意を決し、社会浄化に身を挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、黒谷青龍寺へ隠棲されるが、その直前に建てられた。決死の覚悟の表明である。上人建立の寿塔は、元亀の兵災で破壊され、現在の寿塔は、天保十年(一八三九)知恩院二品尊超親王、西教寺二七世真尚上人ら八人が施主となって建立されたものである。
| |
| こちらがその寿塔。天保年間に再建。
| |
|
8月15日(土)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理
|