反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社15 |
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| 「どら池」と呼ばれている池。
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| 南方向へ歩く。 画像左はシダレザクラだろう。
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| ほとんど人を見ない。 閑散としている。 この日は12月28日で年末のせわしない時期にウロウロする人は少ない―笑。
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| 旗塚古墳方面へ向かう。
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| 大仙公園案内図。 この地図は上が東を示している。 この後、西方向へ歩き、履中天皇陵古墳へ向かう。
つづく。
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3月4日(月)06:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社14 |
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| 東屋の右に見える建造物は「緑の鐘」と呼ばれている。
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| こちらはカフェテラス。 冬なので、お客さんの姿はほとんど見なかった。
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| その向いが多機能トイレ。
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| 東屋に戻ってゆっくりと昼食。(12:18→13:13)
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| 食後、さきほど撮影したものの逆光となっていた平和塔を再び撮影。
つづく。
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3月4日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社13 |
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| 横断した府道197号線御陵通りを振り返って撮影。 朝日寺と記された古寺が交差点の角にあったが、中には入れなかった。
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| 大仙公園案内図。 この地図は上が西を指している。
この後、公園内で昼食。 公園を横断し、履中天皇陵古墳方面へ向かう。 (地図の左上)
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| 撮影した画像は逆光となっている。 この塔は「平和塔」となっていた。
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| 平和塔へ立ち寄ってみる。 “礼拝堂”と記されており、平和を祈願するものと思われる。
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| 礼拝堂に入ることは出来なかった。
つづく。
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3月4日(月)06:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社12 |
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| 府道197号線御陵通りに突き当たる。 仁徳天皇陵古墳はここを左折するがコースは直進。
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| 府道を横断して、この先の大仙公園で昼食となる。 時間は11時50分。
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| 「歴史街道 熊野へつづくみち」の道標。
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| 「狐山古墳」と刻まれている。
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| 狐山古墳
時代: 5世紀後半 古墳の規模: 墳丘径30m、墳丘高5m 古墳の形: 円墳
狐山古墳は仁徳天皇陵古墳の南西隅近くにある円墳です。 発掘調査の結果、周囲には幅5mほどの濠が巡っていたことがわかりました。 濠からは墳丘から転落してきた葺石や埴輪、須恵器などが出土しました。 濠底からは中世の土器である瓦器が出土したことから、中世には濠に溜まった土砂がたびたび浚えられていたようです。 仁徳天皇陵古墳より、やや遅れて完成しますが、造られた位置から仁徳天皇陵古墳と関係のある可能性があります。
それにしても、何故“狐山”古墳と呼ばれているのだろうか、狐の巣穴があったからかも―笑。
つづく。
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3月4日(月)06:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社11 |
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| この辺り、公園のように整備されている。 近隣住民のお散歩コースとなっているような雰囲気。
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| 「府立大阪女子大学大仙学舎跡」の碑が立っていた。 1949年開学。2005年大阪府立大学に統合された。 【参考】 大阪女子大学
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| 進行方向右側に石碑のようなものと説明板らしきが見えた。
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| 「銅亀山古墳」と刻まれている。
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| 銅亀山古墳
時代: 5世紀中頃 古墳の規模: 一辺26m以上、高さ5.4m 古墳の形: 方墳
銅亀山古墳は、仁徳天皇陵古墳の前方部の西側、外濠に沿って造られ、仁徳天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪家)と考えられます。 墳丘は2段に築かれ、百舌鳥古墳群では数少ない方墳の一つです。 発掘調査では、墳丘の東側で濠が巡ることを確認し、円筒埴輪が出土しました。 南側は濠が巡らないことが判明したため、単純な方墳ではなく前方部や造り出しがつく可能性があります。 陪家: 大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳
つづく。
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3月4日(月)06:08 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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