山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年3月11日を表示

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳21

乾城(カンジョ)古墳の国指定史跡の名称は「与楽カンジョ古墳」となっている。
与楽(ようらく)は大字。

下記は現地の説明文。

大字与楽にある与楽カンジョ古墳は一辺 36m墳丘の南裾から高さ 11mの方墳である。
墳丘南面に石室玄室は長さ 6m幅 3.8m高さ 5.3mを測る。
大型の閃緑岩(せんりょくがん)を 5段積んだ石室を構築した両袖式で、羨道の長さ約 5.3m玄門の幅 1.5mを測り、羨道の先端は拡がっている。
玄室内に漆喰をペースト状に固めた棺台がある。
石室内から金銅製耳環(じかん)・銀製指輪、不明鉄製品、砥石(といし)・須恵器・土師器(はじき)等が出土した。
カンジョ古墳は玄室の平面規模に比べ天井までが高いドーム型の石室で、高さでは奈良県で一番である。
古墳の築造は 7世紀前半と考えられる。
また、羨道閉塞石の下から 8世紀初頭の須恵器杯が出土した。
カンジョ古墳を含め与楽古墳群は石室形態や出土遺物から渡来系氏族東漢氏(やまとのあやうじ)と考えられている。
   高取町教育委員会

【参考】
東漢氏



乾城古墳から貝吹山付近を眺める。
おそらく、肩によって遮られ、山頂付近は見えていないと思われる。



先程の祠があった手前まで戻り、貝吹山を目指す。
画像の獣避け電線を跨ぐ。



貝吹山城跡を示す道標。


茂みの中に入る。

つづく。



3月11日(月)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳20

歩道のない車道を西方向へ歩く。

暫く歩くと行政区が明日香村から高取町に変わる。



やがて、飛鳥病院の手前、右側に古墳が見えてくる。


分岐にある道標と石仏を祀った祠。

道標は「←鑵子塚古墳 / 貝吹山城跡→」と「←乾城古墳」。



この日は、乾城(カンジョ)古墳に立ち寄った。
シートが被せられており、整備中なのかもしれない。



乾城(カンジョ)古墳の石室。

つづく。



3月11日(月)06:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳19

ライトアップによる撮影。
お地蔵さんは微笑んでいるように見える。



「右 石(いわ)ふね(祢) 妙・・」。

“妙・・”は、“妙法寺”とみられる。



「左 御所 金こ(古)う・・」。

“金こ(古)う・・”は、“金こ(古)う山・・”だろう。



左「真弓鑵子塚古墳」分岐だが、私有地に付き、見学は不可となっていた。


イノシシほか獣害対策のフェンスを開閉する。

つづく。



3月11日(月)06:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳18

牽牛子塚古墳、入口から南方向の眺め。
画像中央に見える建物は介護老人福祉施設。



牽牛子塚古墳を後にし、南方向へ下る。

この先、分岐。
コースは“く”の字形に曲がる。



「カンス塚→」(真弓鑵子塚古墳)方面へ向かう。


何かを眺めているお二人。


分岐に道標を兼ねた石仏があった。

つづく。



3月11日(月)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳17

牽牛子塚古墳 埋蔵施設名称図。


墳丘の斜面には二上山産の凝灰岩切石が施されている。

下記のサイトによると、

「《二上山凝灰岩にじょうざんぎょうかいがん》
二上山付近で産出されるほとんどの凝灰岩は溶結疑灰岩(ようけつ)で、色が白いことから二上山白石と呼ばれています。
古墳時代後期に近畿で家形石棺が作られるとその材料として利用され、奈良県内では斑鳩町藤ノ木古墳、明日香村高松塚古墳などで、桜井市内では、赤坂天王山1号墳の刳抜式家形石棺などに使われています。」

【参考】
牽午子塚古墳



牽牛子塚古墳入口を正面から撮影。


柵から先は立入禁止。


二上山産凝灰岩の巨石を刺り抜いた埋葬施設(墓室)。

つづく。



3月11日(月)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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