山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年3月7日を表示

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳1

2024年1月7日(日)は、こばこの部に参加した。
題して「貝吹山城へ~益田岩船と牽牛子塚古墳を訪ねて~」

<コース>
近鉄吉野線岡寺駅_牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)_沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)_与楽乾城(ようらくかんじょ)古墳_貝吹山城跡・昼食_白橿(しらかし)町_久米寺_近鉄橿原線橿原神宮前駅

画像は当日歩いたGPSログを表示している。



近鉄吉野線岡寺駅に集合。
“岡寺駅”と云っても、岡寺が近くにあるのではなく約3.5km離れている。

地平駅だが、改札口は地下にある。
画像は地下出入口。



花壇にパンジーが植えられていた。
土がふわふわで、ごく最近に植栽されたのだろう。



Kさんが来ていたが、この日の歩きに参加するのではなかった。
昨年、このグループでハイキング中、アクシデントに見舞われ、そのお礼方々、手土産を持参された。
Kさんはこの近くに在住されている。



Tリーダーから、これから歩くコースの概略を聞く。
まずは、駅の西側に見える、牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)に立ち寄る。
画像は駅前から撮影。

つづく。



3月7日(木)06:13 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社29/29

大鳥大社

御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と大鳥連祖神(おおとりのむらじのみおやのかみ)の二柱であり、和泉国一の宮にあたる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。
同じく式内社の大鳥北浜神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥羽衣浜神社と併せて、大鳥五社明神と呼んでいます。
本殿は、神社建築史上、大社造(たいしゃづくり)につぐ古い様式で、大鳥造(おおとりづくり)と呼ばれている切妻造の妻入り神社建築ですが、明治38年に焼失し、同42年に造営されたものです。
神域は千種盛(ちぐさのもり)といわれ、樹木が密生しています。
白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったという伝説もあります。
平清盛・重盛父子も、平治元年(1159)熊野参詣の途中当社に参拝し、
清盛は
『かひこぞよ かへりはてなば飛びかけり はぐくみたてよ大鳥の神』と詠み、のちに、富岡鉄斎(当社大宮司)の筆による石碑が建てられました。
境内には、与謝野晶子歌碑もあります。



拝殿前と鳥居。


神馬像。


大鳥大社を後にして、ゴールのJR阪和線鳳駅へ向かう。

阪和線の踏切を横断せず、その手前で右折。



すると左側に鳳駅が現れた。
阪和線に乗って天王寺駅へ、環状線鶴橋駅で近鉄線に乗り換え帰宅した。

おしまい。



3月7日(木)06:09 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社28

大鳥大社、北西の角地に到着。
ここは右方向へ。



大鳥大社前の交差点で車道を横断。
境内に入る。



鳥居を潜る。
正月の出店の準備で、業者の方々は忙しくされていた。
この時間(15:20)、参拝者の姿はほとんど見られず。



大鳥大社 由緒

祭神 日本武尊
   大鳥連祖神
例祭 八月十三日
御増祀記念大祭 三月十五日

当社はその起源古く古来大鳥大明神と称せられ 延喜式名神大社であり 和泉国一の宮である。
日本武尊(ヤマトタケル)は景行天皇の皇子にして 勅を奉じ 熊襲並に東国を平定、帰途 伊吹山の賊を平らげたとき 病を得て伊勢国能褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し 御陵を出て大和国琴引原、次に河内国古市にとび 最後に此の地に留まり坐したので 社を創建、之が当社の起源と伝える。
又、大鳥の連祖神は大中臣と元を一にし 祖先は天の岩戸開きに功を立てた天児屋根命(アメノコヤネ)である。
聖武天皇の御世には僧行基が勅願により 神宮寺として この地に勧学院神鳳寺を建立したが明治の神仏分離により廃寺となり 当社は明治四年三月 官幣大社に列格 社殿は大鳥造と称して神社建築史上 貴重な様式を今に伝える。



歩いて来た参道を振り返って撮影。

つづく。



3月7日(木)06:05 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社27

熊野街道が鳳小栗街道と交差する「鳳小栗街道」交差点を横断。
引き続き熊野街道を歩く。



付近の地図。
現在地を赤矢印で、次に訪問する大鳥大社を赤四角で表示した。



堺市のマンホールの蓋。
下記のサイトによると、

「市制100周年(平成元年)を記念し市民の投票をもとに定められた、市の花木(ツツジ)・花(ハナショウブ)・鳥(モズ)をデザインした蓋を作成したものです。現在、堺市で一般に使用されている蓋です。」

【参考:堺市デザインマンホール】
堺市デザインマンホール



この辺り、古い建物が並んでいる。
住所は堺市西区鳳北町四丁165番地。



銅板貼りの家屋も見られた。

つづく。



3月7日(木)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社26

橋には、ひらがなで“えびすはし”と彫られていた。


こちらは“戎橋”。
この橋の名前は石津神社を表しているのだろう。



「歴史街道 熊野街道」の道標が立つ。


ここにも。
この付近、分岐があってわかりにくいが、道標があるので迷わない。
旧道を歩く。



この道標は平成九年三月 堺市によって建立されていた。

つづく。



3月7日(木)05:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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