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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年3月5日を表示

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社20

履中天皇陵古墳を後にし、来た道を戻る。


南陵町の交差点を横断。


府道34号線は片道二車線でクルマの通行量はそれ程多くなかった。


電信柱に「海抜7.0m」の表示がある。


やがて進行左側に公園があり、小休止となる。(石津公園)
遠目からでもこの花の白と赤の色合いは不自然な感じがした。

つづく。



3月5日(火)07:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社19

暫く歩くと、左手に拝所の入口が現れた。
ところが、大きなエンジン音が聞こえる。
この時は、清掃業務が行われていたので、少し待つことに。
「落ち葉 掃除 ブロワー」と呼ばれる、最近、あちこちで見られる電動工具が使われていた。



履中(りちゅう)天皇陵古墳の説明板。
(この説明板は、先程見たものとまったく同じものだったが、もう一度、コピーしておく)

履中(りちゅう)天皇陵古墳

時代: 5世紀前半 古墳の規模: 墳丘365m、後円部径205m、後円部高27.6m、前方部幅235m、前方部高25.3m
古墳の形: 前方後円墳

履中天皇陵古墳はミサンザイ古墳とも呼ばれ、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳(羽曳野市)に次いで墳丘長が日本第3位の規模を誇る前方後円墳です。
台地の端に海岸線と平行するように築かれ、古墳が海からよく見えるように築かれたと考えられています。
墳丘は3段に築かれ、築造当時の姿をよく保っています。
墳丘周囲には幅の広い濠が巡り、さらにその外側には外濠が全周していたことが明らかになっています。
濠の周囲には、かつて10基前後の古墳があり、現在も寺山南山古墳、七観音古墳、経堂古墳の3基が残っています。



すっかり落葉もなくなり、綺麗になったので、拝所に入ってみる。


流石に大きな前方後円墳であることが窺える。


【参考:履中天皇】
履中天皇

つづく。



3月5日(火)07:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社18

街路樹に黄色の花か実かよく分からないものが見えた。


どうもセンダンの実らしい。
センダンの実



コースは履中天皇陵古墳(拝所)へ。


左に履中天皇陵古墳を眺めながら歩く。
しかしながら、全体的な外観を眺めないと、イマイチわからないし印象に残らない。
ネット検索すると、下記のサイトで見ることが出来た。
【参考:堺ナビ】
履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)



府道34号線に出て左折。(東)
履中天皇陵古墳(拝所)へ向かった。

つづく。



3月5日(火)06:58 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社17

説明板のすぐ隣に「履中天皇陵古墳展望所」と記された高台になったところがある。
古墳の全体は見られないが、それでも平地から見るよりは眺めがよい。



この高台に立って集合写真を撮ろうとしたようだが、逆光なのでボツになった。


説明板に記載されていたが、“墳丘長が日本第3位の規模を誇る前方後円墳”で、高台に立つと改めてその大きさが実感できる。


古墳の西側に続く道を南西方向へ歩く。


「旭ヶ丘」バス停前を通過。

つづく。



3月5日(火)06:52 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

反正天皇陵_大仙公園_石津神社_大鳥大社16

車道を横断し西へ歩く。


“大仙公園”を散策中。
車道に面したところに設置されていた。



寺山南山古墳の説明板。

寺山南山古墳

時代: 5世紀前半 国史跡: 2014年3月18日指定
古墳の形: 方墳 史跡名称: 百舌鳥古墳群
古墳の規模: 短辺39.2m、長辺44.7m

寺山南山古墳は履中天皇陵古墳の外濠に接して造られた、平面形が長方形の方墳です。
墳丘は2段に築かれ、南東辺には造り出しが設けられていました。
造り出しに接する墳丘のテラスからは家形埴輪や囲形埴輪が出土し、造り出しからテラスにかけての場所で祭祀(さいし)を行っていたと考えられます。
かつては墳丘の周囲を濠が巡っていました。
南西側の濠は履中天皇陵古墳の外濠と重なることから、履中天皇陵古墳と関わりの深い古墳(陪家)と考えられます。
陪家: 大型古墳の周囲に築かれた中小の古墳



寺山南山古墳の形状。


履中(りちゅう)天皇陵古墳

時代: 5世紀前半 古墳の規模: 墳丘365m、後円部径205m、後円部高27.6m、前方部幅235m、前方部高25.3m
古墳の形: 前方後円墳

履中天皇陵古墳はミサンザイ古墳とも呼ばれ、仁徳天皇陵古墳、応神天皇陵古墳(羽曳野市)に次いで墳丘長が日本第3位の規模を誇る前方後円墳です。
台地の端に海岸線と平行するように築かれ、古墳が海からよく見えるように築かれたと考えられています。
墳丘は3段に築かれ、築造当時の姿をよく保っています。
墳丘周囲には幅の広い濠が巡り、さらにその外側には外濠が全周していたことが明らかになっています。
濠の周囲には、かつて10基前後の古墳があり、現在も寺山南山古墳、七観音古墳、経堂古墳の3基が残っています。

つづく。



3月5日(火)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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