山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年3月8日を表示

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳6

ここまで沼山古墳の道標や案内板がなく、一寸不安になる。
・・・裏道から入って来たからかも!



茂みの中に入ると、説明板らしきが立っていた。


そして、沼山古墳を示す道標があった。
道標や説明板を設置した頃から、周囲の潅木が生い茂り、遠目ではそれらが見えなくなっている。
よくあるパターン。
設置するのは有り難いが、その後のメンテがなされていないので、“用無し”になってしまっている。



沼山古墳

 昭和五十七年に公園整備に伴う発掘調査が実施されました。
径約十八m・高さ五・五mの円墳で、墳丘の中央に片袖の横穴式石室が南側に開口しています。
石室の規模は、玄室が長さ四・九五m・幅二・九五m・高さ四・二五mで、これに長さ四・五m・幅一・八m・高さ一・八mの片袖の羨道(せんどう)がとりつきます。
花崗岩の自然石を長手積にし、玄室内は高さ二mまで垂直に積み、それから上は四壁を内傾に積上げています。
そのため天井での面積は狭く二枚の天上石で覆っています。
玄門部には閉塞石(へいそくせき)が残っていました。
玄室内からは、銀製空玉・ガラス製小玉・トンボ玉・金環などの装身具、心葉形杏葉・辻金具、絞具や革帯金具、鞍金具などの馬具、鉄鏃、鎹(かすがい)、釘などの鉄製品、須恵器・土師器などの土器も出土しています。
とくに玄室中央から甕(かめ)・甑(こしき)・竈(かまど)のミニチュア炊飯具のセットが出土しています。
出土した土器から六世紀後半に築かれた古墳と推定されます。
 本古墳は、渡来系の人々が住んだ身狭(むさ、見瀬)に位置し、渡来系の東漢氏の定住していたとされる桧前地域とも隣接しているなど、真弓鑵子塚古墳、乾城古墳、与楽鑵子塚古墳などと同様に玄室平面が正方形に近く、天井が高いドーム形に石積された古墳であることから、これらの人々の墓と思われます。
  橿原市教育委員会



沼山古墳、石室開口部。

つづく。



3月8日(金)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳5

白橿南コミュニティーセンターの北側に回る。


舗装道路を歩き、その先、階段を登る。


南方向、高取町方面の山々が見えた。


この時期なので、サザンカだろう。
それにしては、大きく成長したものだ。



沼山古墳はこの先、茂みの中にあった。
付近は管理が行き届いており、綺麗に整備されている。

つづく。



3月8日(金)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳4

燈明田児童公園から西正面に見えたピーク。
あれが貝吹山209.9m。
山頂に白っぽい建物のようなものが見えるが、葉っぱが落ちた落葉樹の枝が、そのように見えている。

コースはこの後、画像の歩道橋を渡る。



歩道橋を渡ると住宅地が現れる。


住宅地を南へ歩く。
右手に白橿(しらかし)配水場が見える。



配水場の先、右手には白橿近隣公園があった。

画像は白橿町案内図。
この地図は上が西を示している。
現在地を赤四角でマーキング。
この後に訪問する沼山古墳、益田岩船、貝吹山を赤矢印で地図に書き加えた。



白橿近隣公園の中に白橿南コミュニティーセンターがあって、建物の裏手に回り込む。
撮影した画像はブレていた。

つづく。



3月8日(金)06:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳3

牟佐坐神社(むさにますじんじゃ)

祭神
高皇産霊命
考元天皇

由緒沿革
日本書紀天武天皇紀は安康天皇の御代 牟佐(現見瀬町)村主 青の経営であった。
当時の祭神は生雷神(即ち雷公)であり 江戸初期まで榊原(境原)天神と称されていた。
享保の頃に菅原道真公を祭神としたが 明治に至り 古道再び明らかにと天津神である高皇産霊命を奉祀して今日に至る。
境内は考元天皇の即位された宮地と伝えられている。

明日香村 飛鳥坐神社々務所



阿形、口を大きく開けて迫力がある。
下あごがセメントで修理されているようだが、もう少しなんとかならなかったのだろうか。
素人さんの仕業に見えてしまう。



牟佐坐神社を後にする。
神社の北側の道を西に向かって歩くと公園があった。



燈明田児童公園と記されていた。


児童公園の割には、広いスペースがある。

つづく。



3月8日(金)06:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳2

神社の参道下の広場に、地元の人とみられる方々が集まっていたが、「初見瀬恵比須」の準備だった。
挨拶をして、神社にお参りさせて頂く。



参道の石段を登り切ったら、目の前に常夜燈があったが、その“台石”に模様が入ってる。

今、見ると、“竿石”にも竹のような節があって面白い。



あまり意識したことはないが、細部までよく作りこまれていて、手が込んでいると思った。


拝殿。


これは住宅の小窓用カーテンでは。
自宅にも同じようなものがある。
しかし、スカートに見えたりする―笑。

つづく。



3月8日(金)06:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


(1/1ページ)