山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


山歩き

No.12神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

ホタルブクロ。
ホタルブクロは珍しい草花ではないが、この季節に初めて見たので撮影した。



舗装された旧道を歩く。
通行するクルマはほとんど見られない。
地域の住民の生活道になっている。

尚、R166はかつて“二級国道”として初回指定された路線の一つ。(昭和28年)
現在はこのような区分はなく一般国道となっている。
国道166号



ホタルブクロの群生地が現れた。


この先、三叉路。
コースは直進。
左上から降りている道は、R166から粟原の集落へ繋がっている。



近畿自然歩道の道標「←石位寺 大宇陀町→」。
道標が立つ場所だけ下草が刈り取られ、道標が見えなくなるのを防いでいる。

上に見えるガードレールがR166。

つづく。



1月12日(火)05:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.11神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

R166の歩道を歩く。
この先、倉橋ため池方面、右分岐があるがコースは直進。



R166の歩道を離れ、並行して通っている旧道を歩く。


近畿自然歩道の道標。
「大宇陀町→」へ向う。



歴史街道の道標。
「→粟原寺跡 約2.0km」方面へ。



旧道沿いに食べ頃のクワの実が生っていた。

つづく。



1月12日(火)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.10神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

刈り取った後の状態。
1回でこれほど綺麗に刈り取れるなら、この機械、重宝するだろう。



忍坂街道
「忍坂道伝承地道」の石碑が、この場所と、石位寺から30m西側にある庚申堂前の国道166号沿いにある2箇所に建てられています。
これらの石碑は、聖蹟伝承地が数多くある桜井市(当時は町)が、日本紀元で数える2600年目にあたる昭和15年( 1940年)に建てたものです。
神武天皇東征のとき、東に位置する宇陀(松山)から半坂峠(大宇陀区嬉河原から粟原山頂上の鉄塔の下)を経て粟原へ、そして忍阪の村を通って宇陀ケ辻への道、また向垣内橋から浅古への多武峯への道..。これが『忍坂道』なのです。
この忍坂(押坂)の地を『宮』としていたとされる「忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)」が住んでいたとされている忍坂の土地。
人の行き交いもあったでしょう。
『日本書記』皇極3年(644年)の記載によると菟田山には仙薬とする水銀の鉱床があったとされ、近年まで採掘されていました。
また、宇陀野へは仙薬としての薬草や猪,鹿などの薬物採取を目的として出向いていたのです。
草壁皇子(日並知皇子)や軽皇子が狩猟していた宇太郡漆部里まり阿騎野の里への道なのです。
この時に忍坂を通る道は出来ていたのです。
街道といわれる前に、すでに「忍坂道」があったと言えます。
「忍坂街道」は平成17年に文化庁により『遊歩百選』として『大和の古道紀行』の中に山之辺の道などと共に選定されました。
忍阪区



説明板に記載されている「忍坂道伝承地道」の石碑。


歴史街道の道標。
この日は道標に表示されている「↑粟原寺跡 約2.4km」方面へ向う。



R166に合流し左へ。(東)

つづく。



1月11日(月)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.9神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

石位寺を後にする。
正面参道の石段を降りる。



石段を振り返って撮影。
ご覧のように石位寺は小高い丘に位置している。



近畿自然歩道を粟原寺跡方面に向かって歩く。
粟原寺跡までの距離、約2.7km。
この日は粟原寺跡には立ち寄らない。



傾斜地に建つ家屋。


雑草を刈り取りされていた。
この機械、初めて見たが、ラクチンそうに操作されていた。
ただ押すだけ!?

つづく。



1月11日(月)05:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.8神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

境内に立つ「高円山 石位(いしい)寺」の寺号標。
寺号の高円山は、“たかまどやま”ではなく“こうえんざん”と読むようだ。
高円山・石位寺



国指定重要文化財 石造浮彫 伝薬師三尊像
収蔵庫内に安置されている本尊は、我国に現存する最も古い石彫三尊仏で、高さ一.一五m、幅一.五m、底辺一.二一m、厚さ約0.二mの丸みのついた砂岩製の石板に頭上に天蓋をいただいた倚座する如来形像を中心に三尊仏を浮彫にしたもので、寺伝では薬師三尊仏として伝えられているが、本来いかなる尊像として刻まれたものかは明らかではない。
刻出は極めて念入りで三尊とも薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく表わされており、布の質感表現も巧みである。
長谷寺の銅盤法華説相図中の三尊仏と形式がよく似ており、白鳳時代のものと思われる。
昭和五十三年十一月 桜井市教育委員会



石位寺境内の石造物
<南東部石碑群>
4基の石碑は、右から3基は「西国三十三所巡礼供養碑」。西国三十三所観音霊場を供養した記念碑的要素が強いものです。
右より戦国末~江戸前期のもので法名を刻み、二つ目は江戸時代初期・正保4年(1647年)で物故者供養、三つ目は寛文4年(1664年)で俗名で構成されたものです。
桜井市史によるとこれらの石碑は、もともと境内の西北隅にあったもので、昭和53年の堂宇の建て直し時に移設されたものです。
また、左端の石碑は、庚申講衆碑で、大型ですが浅い梵字の形状、半肉彫で形骸化した蓮弁などから16世紀後半ごろの戦国末から江戸前期のものと想定できます。
これは昭和28年の国道166号開通よる現・庚申堂の移転に伴い、移設されたものです。
<北西部石造物群>
墓塔や墓標があります。
右端の石碑は、「阿弥陀名号供養碑」です。
通常は「南無阿弥陀仏」と記されますがこの石碑は供養碑として特異な表現となっています。
戦国時代・天文10年(1541年)のものです。
右から3基目は、「六十六部廻国供養塔」と考えられ、戦国時代・弘治2年(1556年)に法華経を66ヶ国の霊場に奉納し無事満願を迎えられたことを記念して建てられたたものです。
他にも、五輪塔火輪の15~16世紀のものや、江戸時代の墓標や五輪塔板碑もあります。
忍阪区



説明板に記載されている<南東部石碑群>。


境内で見られたサルスベリの大木。

つづく。



1月11日(月)05:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.7神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

用水路が流れる角地に道標が立つ。
「舒明天皇御陵道 是ヨリ左へ壱丁」。
この日は御陵には立ち寄らず。



更にその次の辻にも御陵の道標。
「舒明天皇陵 従是左一町」。



やがて「石位寺←」を示す看板が見えたので左折。
歩行者は通行可能。



正面参道は石段が続く。
こちらの方が歩きやすい。



境内の隅に立ち並ぶ板碑などの石造物。
これらの石造物の説明板が境内にある。
【下記に説明文を転写】

<北西部石造物群>
墓塔や墓標があります。
右端の石碑は、「阿弥陀名号供養碑」です。
通常は「南無阿弥陀仏」と記されますがこの石碑は供養碑として特異な表現となっています。
戦国時代・天文10年(1541年)のものです。
右から3基目は、「六十六部廻国供養塔」と考えられ、戦国時代・弘治2年(1556年)に法華経を66ヶ国の霊場に奉納し無事満願を迎えられたことを記念して建てられたたものです。
他にも、五輪塔火輪の15~16世紀のものや、江戸時代の墓標や五輪塔板碑もあります。


つづく。



1月10日(日)05:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.6神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

説明板にある年代不詳の陰陽石。(いんようせき)
“静かに村の安全と繁栄を見守っている”



常夜燈が立ち並ぶ。
元は参道にあったものが、道路の拡張工事等で境内に移されたのかもしれない。



忍坂坐生根神社を後にする。


神社のすぐ前に玉津島明神が祀られている。


頭上がピーピーと騒がしいと思って見上げたらツバメの雛たち。

つづく。



1月10日(日)05:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.5神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

「清酒 金剛力」の看板が掲げられている。
高市郡高取町上土佐、土佐街道沿いにある酒蔵。



やがて左手に整った石垣が続く。


見覚えのある忍坂坐生根神社に到着。
石段を登る。



石段を振り返って撮影。
垂れた三本の注連縄の結界を通り抜けて境内へ入った。



「忍坂坐生根神社」(おしさかにいますいくねじんじゃ)
祭神
 一 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 一天津彦根命(あまつひこねのみこと)
境内社
 一 神女神社(しんにょじんじゃ) 大宮女命(おおみやめのみこと)を祀る
 一 愛宕神社(あたごじんじゃ) 火産霊神(ほむすびのかみ)を祀る
 一 天満神社(てんまじんじゃ) 菅原道真公(すがわらみちざねこう)を祀る
当社は天平二年(730)の「大倭国正税帳(おおやまとこくしょうぜいちょう)」に、また延長五年(927)の「延喜式(えんぎしきないしゃ)」にも名前が見える古社で、本殿を持たず宮山(みややま)をご神体とし拝殿の北側に神が鎮座する「石神いしがみ」と称する自然石十数個を並べた「磐座(いわくら)」があります。
ここ忍阪の地は隅田八幡宮(すみだはちまんぐう)所蔵の国宝人物画像鏡(じんぶつがぞうきょう)に刻まれた「意柴沙加宮(おしさかのみや)」の地ともされ、第二十六代継体(けいたい)天皇が磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)に即位される以前におられた処とされています。
また忍坂大中姫命(おしさかのおおんかつひめのみこと)や衣通姫(いてとおりひめ)が居られたとも伝わり「大和志料」では額田部(ぬかたべ)氏の祖、天津彦根命(あまつひこねのみこと)を祀るとも記され、平安時代の医書「大同類聚方(だいどうるいじゅほう)」に当社相伝の「以久彌薬(いくねくすり)」(額田部連(ぬかたべのむらじの)上奏(じょうそう))のあることを伝えています。
その薬の製法は昭和の初期まで伝わり、また額田部(ぬかたべ)氏が居住したとするこの地で額田王(ぬかたのおおきみ)と鏡女王(かがみのひのみこ)姉妹との繋がりや息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめたみ)こと(第三十四代 舒明(じょめい)天皇)の陵墓があることから息長氏の大和での拠点の一つであったとされています。
拝殿への石段の左右には境内社の「神女神社(しんにょじんじゃ)」と「愛宕神社(あたごじんじゃ)」を、北側には「天満神社(てんまじんじゃ)」を祀ります。
石燈籠二十四基の最古のものは拝殿下左右の延寶二年(1674)、正面登り口の石橋は正徳五年(1715)の刻銘があります。
また年代不詳の陰陽石(いんようせき)が一基あり、静かに村の安全と繁栄を見守っています。
境内には万葉集巻十三 - 三三三一(作者不詳・洋画家・有島生馬氏揮毫)による万葉歌碑があります。
「こもりくの泊瀬はつせの山 青幡あおはたの忍坂おさかの山は走出の よろしき山の出で立ちのくわしき山いて あたらしき山の荒あれまく 惜おしくも」
平成二十三年九月 桜井市忍阪区

つづく。



1月10日(日)05:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.4神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

やがて“宇陀ヶ辻”と呼ばれる辻に出る。
文字通り宇陀へと続く分岐点となる辻。

下岡歯科の建物の左に先が尖った大きな石造物が見える。



先が尖った石造物は道路改修記念碑の類だろう。(確認せず)
画像はその右に立つ道標。
「舒明天皇御陵道 従是南へ八丁 / 明治廿七年五月」。



粟原川に沿って歩く。
正面に見える形の整ったピークは外鎌山(とかまやま)292.4m。
別名:忍坂山(おさかやま おっさかやま)又は高圓山(たかまどやま)、或いは朝倉富士、更に大和富士とも呼ばれているそうな。
誰でも好き勝手に名前が付けられる!?



祠があったので立ち寄ってみたが、中が良く見えなかったので撮影せず。
祠付近の清潔な環境から、地元の皆さんの信仰心が篤いことが窺い知れる。



桜井市が立てた歴史街道の道標。
「←近鉄 大和朝倉駅 約1.1km / →石位寺 約0.5km 舒明天皇陵 約0.5km」他。

つづく。



1月9日(土)05:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.3神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

寄り道した地蔵菩薩立像付近から旧伊勢街道を眺める。


粟原川(おおばらがわ)に架かる跡見橋(あとみはし)の手前に石造物が見えたのでこれも立ち寄る。


左の自然石には“庚申”の文字が見えた。
他には二尊石仏など。



粟原川の流れ。
この日はこの川の支流の更に源流付近を大宇陀へ向かって歩く。



「←磯城邑傳稱地道」(しきむらでんしょうちみち)と彫られた道標。
磯城嶋金刺宮跡を指しているようだ。

つづく。



1月9日(土)05:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.2神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

「用水」と彫られている。
防火のために蓄えられた水。



こちらは雨水を利用している。
合理的。雨水も無駄にはしない。



やがて旧伊勢街道沿いから少し離れたところに地蔵菩薩立像が立つ。
右の石柱には「南無妙法蓮華経」と彫られている。
地面に置かれていた丸い石は力石だろうか。



少し離れたところに石碑が立つ。
「白川定鴻?翁之碑」と彫られているようだ。



石碑は亀の形をした石の上に乗せてあった。
このような台石のことを亀趺と呼ばれている。
贔屓

つづく。



1月9日(土)05:12 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.1神武東征伝説の道1(宇陀ヶ辻_粟原_男坂_阿紀神社)

<概要>
2020年6月21日(日)は、おおばこの会に参加した。
タイトルは「神武東征伝説の道パート1~男坂をこえて、ササユリの花を探しに~」。

桜井市の宇陀ヶ辻から粟原(おおばら)を経て大宇陀へと続く近畿自然歩道を歩くのは初めて。
以前から歩きたいと思っていたが単独では躊躇していたので“渡りに船”だった。

近畿自然歩道となっているが、歩く人が少ないようで荒れていた。
男坂傳稱地から大宇陀半阪の集落までは距離が短く、すぐそこだった。
あまりにも近いので驚いた。

サブタイトルにある“ササユリ”は開花したものは見つからなかった。
しかし、大宇陀半阪の小峠(ことうげ)と、大宇陀かぎろひの丘付近でも蕾を見ることは出来た。

<コース>
桜井駅9:35_中央通商店街_<旧伊勢街道>_櫻井町道路元標_山本五平薬局前_馬つなぎ_酒井染物店前_地蔵菩薩立像・白川定鴻?翁之碑_庚申塚_粟原川に架かる跡見橋(あとみはし)を渡る_石柱(←磯城邑傳稱地道)_宇陀ヶ辻・道標(舒明天皇御陵道 従是南へ八丁 / 明治廿七年五月)_祠_歴史街道道標(←近鉄 大和朝倉駅 約1.1km / →石位寺 約0.5km 舒明天皇陵 約0.5km他)_説明板(忍坂坐生根神社 おっさかにいますいくねじんじゃ)・陰陽石_玉津島明神_道標(舒明天皇御陵道 是ヨリ左へ壱丁)_道標(舒明天皇陵 従是左一町)_道標(←石位寺)_高円山 石位(いしい)寺・説明板(国指定重要文化財 石造浮彫 伝薬師三尊像)・説明板(石位寺の境内の石造物)_道標(←粟原寺跡 約2.7km)・道標(←→ 近畿自然歩道)_説明板(忍坂街道)_石柱(忍坂道×)_R166に合流_R166から右折 旧道を歩く_近畿自然歩道道標(←石位寺 大宇陀町→)_道標(→男坂傳稱地道 / 昭和十五年十一月)_粟原川に架かる橋を渡る_火の見櫓_粟原案内地図_道標(←男坂傳稱地道 / 昭和十五年十一月)・近畿自然歩道道標(←大宇陀町 石位寺→)・道標(←粟原寺跡)_ハンゲショウ_近畿自然歩道道標(←大宇陀町 ↓石位寺)・粟原川の支流に架かる石橋を渡る_常夜燈(太神宮)・道標(左 うだ道)_近畿自然歩道道標(←大宇陀町 石位寺→)_獣害避けの金網を開閉_覆屋(地蔵菩薩)_12:02近畿自然歩道道標(←大宇陀町 桜井市→)・常夜燈・石柱(男坂傳稱地 / 昭和十五年十一月・昼食12:55_道標(←男坂傳稱地道 / 昭和十五年十一月)_近畿自然歩道道標(←嬉河原(うれしがわら) →桜井)_小峠・分岐でNTTドコモ専用道路を右に見送り直進_近畿自然歩道道標(←嬉河原 →桜井)_石造物(西国?)_祠近畿自然歩道道標(←嬉河原 →半坂・桜井)_記念碑(道路大修理記念碑)_石造物・二尊石仏_石造物(記念?)_近畿自然歩道道標(← →)_近畿自然歩道道標(←徳源寺 半坂→)_屑(くず)神社・二本の杉の巨樹_近畿自然歩道道標(←嬉河原 徳源寺→)_車道に出合い右折・近畿自然歩道道標(←徳源寺 嬉河原→)_カラオケ エポック前_道標(←大亀和尚民芸館)_迫間(はさま)庚申塚・祠(石仏)_東山 松源院前_大亀和尚民芸館_庚申塚・石仏・石造物_天香久山 天益寺(てんやくじ)_道標(→大亀和尚民芸館)_阿紀神社 参拝者駐車場前_説明板(阿紀神社)・懸社 阿紀神社縁起・照巣(てれす) 倭姫命祭祀跡案内図_説明板(高天原 たかまがはら)_道標(かぎろひの丘 万葉歌碑登り口)_宇陀市大宇陀地域事務所前_R166合流南へ_15:10道の駅大宇陀バス停_<バス>_榛原駅

<メモ>
・参加者: 22名。
・コース歩行 (桜井駅~大宇陀バス停までの所要時間と距離)
 歩行距離: 約14.2km。
 所要時間: 5時間35分。
・当日歩行 (自宅~自宅までの歩数と歩行時間及び推測距離)
 歩数: 29,021歩。
 推測距離: 約19.4km。(0.67m×29,021歩=19,444m)
 歩行時間: 4時間48分。

画像は当日歩いた桜井駅から道の駅大宇陀バス停までのGPSログを表示。



桜井駅南口を9時35分に出発。
南東方向に歩く。
やがて中央通商店街に出合いこれを南へ歩く。
シャツターが閉まった店が多い>



程なく旧伊勢街道に出合いこれを左折。(東)
画像は櫻井町道路元標。



旧伊勢街道沿いには歴史を感じる古い建物が建ち並ぶ。
画像は武田薬品工業㈱ 特約店 山本五平薬局。
現在は営業をされていないようだ。



これは“馬つなぎ”と呼ばれている。
しかし、一般的には馬より牛を飼っていた農家の方が多かったのでは。

つづく。



1月8日(金)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.19金剛山(カタクリ尾根_馬の背東道)

魚料理には日本酒が良く合う。


たいてい〆は、海鮮巻き380円を注文するのだけど、この日は、にしんそばを食べたくて松屋うどんへ向う。
松屋うどん
所在地は大阪市阿倍野区阿倍野筋1-6-1 ヴィアあべのウォーク 1F 天王寺駅前駅から63m。
この店はあちこちにある。
一番近い場所にある店へ入った。
ViaあべのWalkの入口にある店。(赤丸印)



とても分かりやすい場所にある。


券売機を利用。


にしんそば400円。
価格にしてはまずまずの味で満足。

おしまい。



1月7日(木)06:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.18金剛山(カタクリ尾根_馬の背東道)

この日の反省会は先週と同じスタンド 富
所在地は大阪市阿倍野区阿倍野筋1-5-1 ルシアスビル B1F 天王寺駅前駅から190m。

画像は「スタンド 富」の向いにある店「恵美寿屋」。
この店のセールスポイントは“朝8時から呑める店”。
先週、改装中でこの日はオープンしていた。
店の中を覗いたが、混み合っており客席の間隔が以前と同じく狭いのでこの日は入店するのを避けた。
お客さんが少ない時を狙って入ることにした。



こちらが向いにある「スタンド 富」の入口。


ブリ鎌焼き380円。
真鯛の煮炊き280円も美味しいが最近はこちらを注文することが多い。



特選・得タネ盛合せ(9種)880円。
これも定番の注文メニュー。
三分の一くらい食べてから撮影。



久しぶりにうなぎを食べた。
うなぎの蒲焼680円。美味しい。

つづく。



1月7日(木)06:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

No.17金剛山(カタクリ尾根_馬の背東道)

細尾谷に合流。
今朝は丸太の橋を渡って細尾谷を遡上した。
下山は右折。



細尾谷の左岸を下る。


程なく伏見峠登山道に合流。


百ヶ辻駐車場に帰着。
画像はトイレ入口付近に新しく掲示されていた。



駐車場付近ではウツギが満開。
ウツギ

つづく。



1月7日(木)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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