山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2017年9月7日を表示

星田山_日高山_森の宝島30

分岐に立つ案内板。

 四條畷市歴史散策道
   清滝街道の今昔
 本市の中央部を東西に貫く古道は、清滝街道と呼ばれ、多くの人びとに利用されてきた。 蔀屋(しとみや)西端から東へ山間を越えて下田原に至り、磐船街道と交又する約7kmのこの道は、古代より河内と大和を結ぶ重要な道であった。
 戦後は国道163号として整備され、平成2年には清滝トンネルが開通し、急坂が解消されて、いよいよその重要度が増している。
 数字を付して西から古道をたどると、①は本市で最も古い道標で「これより東清滝」と刻まれ、延宝3(1675)年に建てられている。②蔀屋浜は寝屋川舟運の要地であった。道は清滝川北岸沿いに外環状線を横断、体育館を左に東進する。③雁塔・西征戦死招魂碑の前を過ぎ、JR片町線の踏切を過ぎると、④中野派出所前。ここは明治7年に中野屯所が設置された所。児童公園は旧役場跡地で、このあたり約100mは東高野街道と重なる。⑤道標を過ぎ東進すると、左の高台は⑥白鳳時代創建の旧正宝寺跡。清滝川の北岸をたどり⑦国中神社の鳥居をくぐり約800m登ると163号と交又する。ここから先は国道改修工事により姿を変えているが、一部は山間の古道の姿を残している。⑧水道局ポンプ場からは古道が整備され、登りつめた右側には⑨府指定文化財の五輪塔がある。
 峠から東は街道と国道がつかずはなれず下田原へと続き、集落の入口で分かれて東に進む。⑩天満宮、⑪珍しい墓塔型の道標を見つつ東に進み⑫前川橋を渡る。北200mには⑬耳なし地蔵を祀る法元寺。南200mには⑭照涌井戸。道は川沿いに進み高橋を渡り、磐船街道と交わる。橋の手前には⑮大正八年建立の府県境標石がある。
       四條畷市教育委員会



ここにも地元四條畷市と四條畷中学校が立てた駒札。

のぼりつめ
  清滝峠の
    茶屋の跡

 貝原益軒は「清滝嶺の茶屋一あり、是大坂越の嶺なり」と、元禄の昔に語られた茶屋一字は、江戸末期まで存在したらしい。



逢阪五輪塔。

一見すると損傷もなく江戸時代くらいの建立かと思ったが、延元四年(1336年)で、今から681年前の南北朝時代のもの。



延元の
  年月きざむや
    逢阪の五輪塔
基部から、地・水・火・風・空輪と呼ばれる。地輪部中央に「大坂一結衆延元元丙子三月日造立之」の銘がある。府指定有形文化財。



逢阪 石造五輪塔
   (大阪府指定文化財・高さ約2m)

 この五輪塔は、上の方から空・風・火・水・地の5つの部分からなり、密教思想を伝える鎌倉時代の様式をあらわしています。
 塔には建立の年も刻まれ、四條畷市で最も古く、大きさも立派なものです。
 <逢阪千軒>といわれ賑わったこの地にふさわしい文化財といえるものです。
   (地輪に刻まれた文字)
 大坂一結衆(大坂は逢阪のこと)
 延元元丙子三月 日(1336年)
    造立之



9月7日(木)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田山_日高山_森の宝島29

車道沿いに歩くが、アスファルトの照り返しもあって異常に暑い。

見所もないのでピッチを上げて早足で歩く。



車道を右に渡る。


信号機のある三叉路の交差点を直進。


すると右側に「大東・四條畷ハイキングコース案内」が立っている。

塗装を塗り直したのか綺麗に描かれている。

現在地から「逢阪の五重塔」を観て「緑の文化園」へ入りここで昼食。
食後は府民の森駐車場を通って蟹ヶ坂ハイキングコースを歩く。
御机神社前、四條畷神社前、四條畷学園前を通ってJR片町線四条畷駅へゴールする。



民家の前を通り過ぎると分岐。

コースは右方向の旧道(清滝街道)を見送り直進。



9月7日(木)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

星田山_日高山_森の宝島28

役行者像が彫られている石は左右の巨岩とは異なっているように見える。

像の後、灰色に見えるのは鉄板なのか石なのかよくわからない。



傍らに祀られていた石仏群。

中央の石仏は阿弥陀如来坐像だろう。



おそらく旧道沿いに点在していた石仏たちをこの一ヶ所に集めたと見られる。


箱型双石仏。

向かって左、地蔵立像。右は阿弥陀如来立像だろう。



車道に出合い左折。

逢阪(おおさか)バス停前を通過。
車道に併設された歩道を暫く歩く。



9月7日(木)20:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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