山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年10月を表示

平石峠_太子ゆかりの地へ5

竹内街道を歩き、県道30号線を横断。綿弓塚(わたゆみづか)へ向う。


将来のだんじりの曳き手。


綿弓塚に到着。小休止となる。
※葛城市のHPによると、「綿弓塚は、松尾芭蕉(まつおばしょう)が門人・苗村千里(なえむらちり)の旧里である竹内に宿泊した時に詠んだ句を記念し、1809年に建てられた句碑。句碑の建つ庭と近くの民家を整備して休憩所とし、芭蕉の資料や司馬遼太郎氏の色紙などが置かれている。」
下記URLはGoogleの「おみせフォト」。Googleマップとの連動により、360度のパノラマで施設の内部を見渡すことができるGoogleのサービス。https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%B6%BF%E5%BC%93%E5%A1%9A/@34.5088748,135.6985831,3a,75y,29.61h,90t/data=!3m5!1e1!3m3!1sHf3AUx4WYDwAAAQJLkD6QQ!2e0!3e2!4m2!3m1!1s0x0:0x4d908bb8320d300e!6m1!1e1?hl=ja



芭蕉当麻寺に詣でるの図。


綿弓塚を後にする。


10月14日(火)21:34 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

平石峠_太子ゆかりの地へ4

この日は秋祭りの日で、地元の人達が、だんじりを曳いていた。


竹内街道と長尾街道の合流地点に立つ道標。


竹内街道を歩く。


玄関先に活けられたコリウス。花が咲いているが、葉っぱを楽しむ植物なので、花を咲かせないようにした方が良いと私は思う。間延びして格好が悪い。


こちらは栽培されているポインセチア。葛城市は花の栽培が盛んと聞く。


10月14日(火)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

平石峠_太子ゆかりの地へ3

木戸池公園は今回初めて訪れた。イチョウが黄葉し始めている。


木戸池公園を後にする。


近鉄南大阪線を横断し、磐城駅を右に見て歩く。


古寺の前を通過。


「聖徳山 葛城禅寺」。“かつじょうぜんじ”と読むらしい。曹洞宗のお寺。


10月14日(火)21:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

平石峠_太子ゆかりの地へ2

スタート受付で、この日歩くコースの地図を頂く。地図には通し番号が打ってあり458。受付は9時から開始されており、私は458番目だったというわけ。尚、この日の参加者は593名。画像中央の山は岩橋山658.8m。当初の予定では岩橋峠から岩橋山、平石峠へミニ縦走するはずが、岩橋峠までの登山道の一部が崩壊により、コースが変更となり、ここスタート地点より直接、平石峠へ向う。


この日歩くコースの地図。貰ったものと同じ地図が張り出されていた。但し、こちらはカラー、貰ったのは白黒。


尺土池ふれあい公園には綺麗なトイレが完備されている。


準備体操もそこそこにして歩き始める。


木戸池公園から二上山を望む。なかなかの景観だ。


10月14日(火)21:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

平石峠_太子ゆかりの地へ1

2014年10月12日(日)は、近鉄・南海主催の「金剛生駒紀泉ハイキング2014 第6回」にH氏と一緒に参加した。題して「岩橋峠を抜けて聖徳太子ゆかりの地へ」。ところが葛城市方面から岩橋峠までの登山道で崩壊箇所があり、この為、当日になってコースを一部変更されていた。これに関連して、2014年9月21日(日)の“おおばこ”で、この崩壊した個所を歩いていた。確かに僅かだが崩壊しており、大事をとってコースを変更されたようだ。その結果、歩く距離としては、2km程度短縮された。当初14km→12km。参加者は593名で、このイベントとしては若干少な目だと思う。

コース・タイム
9:12尺土池ふれあい公園9:16_9:30木戸池公園_9:36近鉄南大阪線を横断_9:55綿弓塚10:03_10:09瓦堂池・当麻寺分岐_10:11菅原神社前(R166沿いに歩く)_10:22三ツ塚古墳群前_10:27南阪奈道路高架下_10:32分岐_10:43水場_10:51平石峠・葛城経塚二十八宿 第二十四番11:00_11:15ダイトレ分岐_11:46展望地_11:56水琴窟・トイレ_12:00小野妹子墓・昼食12:33_12:39科長(しなが)神社12:43_12:48観音堂_13:17太子町東(交差点)_13:27叡福寺13:48_13:52西方院14:01_14:21聖和台1丁目(交差点)_14:40上ノ太子駅前 ★反省会 15:05餃子の王将・古市店16:08

この日歩いたルート地図。近鉄南大阪線尺土駅から上ノ太子駅まで。



10月12日(10月第2日曜日)は、近隣のあやめ池神社の秋祭りの日。画像は蛙股池の堤を歩くはっぴ姿の男性。


尺土駅で下車。この日は近鉄の別のウォーキングイベントがあったようで、途中の高田市駅でハイキング姿の人達が何人か下車された。


駅前の尺土池ふれあい公園が集合場所。近鉄のウォーキングイベントでこの公園で集合するのは何回かある。H氏は早めに来ていた。


金剛生駒紀泉ハイキングの垂れ幕。


10月13日(月)19:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵33

ほどなく長谷寺駅に到着。


この日の反省会は、この近辺では、お馴染みとなっている「白木屋 大和八木北口駅前店」。おしまい。


10月13日(月)14:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵32

伊勢辻に立つ道標。「右 いせミち 」。


洗い場。野菜などを洗ったのだろう。初瀬川から水を引いているようだ。


天神山(与喜山)を振り返って撮影。シーズンオフで時間も夕方に近いこともあり、人影は少ない。


この先、R165を横断。


急坂を登って長谷寺駅へ向う。


10月13日(月)14:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵31

どことなく、懐かしいにおいが漂ってきたが、すぐ近くで野焼きをやっていた。


山靴では舗装道路は歩きにくい。先行する人とどんどん距離が開く。


やがて、右手に長谷寺の駐車場を見る。左には初瀬川と与喜天満神社への参道を見送る。このあたりは美観地区でもないようだが、思わず歩いてみたくなる。


長谷寺の山門(仁王門)を右に見遣る。


私は参道の土産店で、「素麺のふし」を購入した。100円。味噌汁に入れると美味しい。


10月13日(月)09:21 | トラックバック(0) | コメント(6) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵30

東海自然歩道の道標。榛原、初瀬ダム方向を左に見送り、長谷寺へ向う。ここから長谷寺まで(距離1.7m)東海自然を歩くが、“自然歩道”とは名ばかり。


舗装された車道をクルマに気をつけながら歩く。


初瀬ダムを左に見て歩く。


やがて、見廻(みかえり)不動尊が右手に見えてくる。画像は説明板だが、色あせてよく読めない。
※ネット情報によると、「弘法大師豊山に参籠を終わって笠山の方に向かわれた時此処で回顧され、まことに金剛界・胎蔵界の深理おのずと顕れた秘宝荘厳の霊場故、この山に入る者は心を定め浄めるようにと、この霊山の護り神である堅固不壊なる須彌山王の上に不動明王の御形をほられたものだと傳えられる。誰しも不動明王の加護を蒙り心地決定を祈るべきである。」
この山とは、背後にある初瀬山だろう。



説明板のみならず、肝心のお不動さん(磨崖仏)がどこに彫ってあるのか、よく見えない。


10月12日(日)21:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵29

瀧蔵神社へ登る車道を左上に見送り、正面の旧道を歩く。


旧道沿いにあった梵字の石碑。何か文字が刻まれていたようだが、磨耗して判読できそうになかったので、そのまま通過した。


やがて「天落神六社権現」(あまのおちがみろくしゃごんげん)に到着。小休止となる。
ネット情報によると、「初瀬ダムによってできたまほろば湖の底に沈んだ磐座を遷座した神社。旧暦の1月11日に網掛け行事が行われた名残りとして、磐座を模した宝篋印塔が線刻された石碑には、網掛けの注連縄が掛けられている。」



説明にある「宝篋印塔が線刻された石碑」。網掛けの注連縄が掛けられていた。


天神山。手前は人造湖の「まほろば湖」。


10月12日(日)21:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵28

やがて覆屋が現れる。


覆屋の中には阿弥陀石仏が祀られていた。彫が深いのが印象に残る。尚、この覆屋は鳥居堂、“とりいどう”又は“とりんどう”と呼ばれているようだ。


南正面奥に見えた山。中央は天神山(455.3m)だろう。別名:与喜山(よきやま)。右のピークは岳山(525.5m)。左のピークは山名を知らない。


アケビに続いて、今度は栗を採ろうということになり、この後、私が枝を手繰り寄せたが、いかんせん、素手ではなかなかイガのある栗を採れなかった。


県道38号線に降り立つ。後はこの県道を歩いて長谷寺駅へと向うことになる。


10月11日(土)20:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵27

瀧蔵神社。この日はお参りせず。


瀧蔵神社社そうの説明。“社そう”(社叢)とは聞きなれない言葉だが、ネット検索すると、神社において社殿や神社境内を囲うように密生してる林のことをいう。


この後、弥勒菩薩石仏に向う。


自然の光を受け、真に素晴らしい菩薩様を拝むことが出来た。


参道だが、歩いてお参りする人が少ないのか、かなり荒れている。


10月11日(土)20:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵26

付近の地図。この後、瀧蔵神社へ向う。地図にある上之郷小学校は、近年、生徒数が少なくなり、何年か前に廃校となったと聞く。


瀧蔵神社の手前に権現桜がある。推定樹齢300年。
※ネット情報によると  「今昔物語」(こんじゃくものがたり)巻十九には平安時代当時の滝倉明神と長谷寺との関係が具体的に書かれている。瀧蔵神社は長谷寺の奥の院として古来より信仰が深い神社で、長谷寺へお詣りしても瀧蔵神社へ参詣しなければ御利益は半減すると伝えられている。



現地の説明板によると、「権現桜」には、昔、地元の村老の夢の中に権現様が現れて枝垂桜を植えるようにお告げがあり、それで権現桜という名が付いたという伝説が伝わっている。桜の種類としてはエドヒガン系のシダレザクラ。


鐘楼。


鐘楼の由来について。


10月11日(土)20:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵25

錫杖が丁寧に造られており、ふくよかな面持ちながらも、引き締まった凛々しさがある。


清潔な涎掛けと仏花。手入れが行き届いているようだ。


こちらは双石仏。ユーモラスな表情に見えてしまう。


西法寺を後にすると展望が開けた。左から751m峰(真平山)、中岳、貝ヶ平山、そして右端のなだらかな山容が鳥見山(とみやま)だろう。


11月2日、桜井市ウォーキングフェスティバルが開催される。K氏は参加されるようだ。


10月10日(金)21:22 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理

来迎寺_旧藺生峠_三谷の寝地蔵24

そして、この辻には覆屋がある。


左は「十三仏」。残念ながら割れているようだ。永禄七年(1564年)八月十五日の銘。右は板碑。


滝倉の旧家。


西法寺の入口。六地蔵。


西法寺、参道途中の地蔵石仏。N氏と比べて石仏の大きさがわかる。


10月10日(金)21:21 | トラックバック(0) | コメント(0) | 石仏 | 管理


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