山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年12月25日を表示

大阪市渡船場八ヶ所巡り8

車道を横断。
歩く方向が北東から東南に変わるが、次のポイントである八幡屋商店街を目指して、再び北東方向へ歩く。



市立港晴小学校前を通過。


目当ての「八幡屋」の看板とアーケードがあった。


ここだけ雰囲気が違っている。
アーケードがあるからだろう。
屋台もチラホラ見える。



Tリーダーが奢ってくれることに。
一個80円で良心的な値段。
最近、関西で各地に出店している「御座候」の価格は110円。
御座候

つづく。



12月25日(月)06:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り7

路上にイチョウの銀杏が沢山落ちていた。


天保山運河に架かる千舟橋の歩道を歩く。
画像は運河に停泊中の船。



広い歩道が設けられており歩きやすい。


阪神高速天保山入口付近。
引き続き歩道橋を北東方向へ歩き、その後地上に降り立つ。



歩道橋には「ゆうやけばし」の名前が付けられていた。

つづく。



12月25日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り6

天保山公園では、丁度、イチョウの黄葉が見られた。
長い階段を降りる。



石に取り付けられた「天保山公園」の銘板。


水上消防署前を通過。
先ほど、船上でオレンジ色の服を着た人が訓練らしきをしていたが、水上消防署の訓練だったようだ。



これは落書きとは思えないが・・。
右の動物はイルカ?



海岸通を南へ歩く。
前方の高架橋は大阪メトロ中央線。
この区間は地上を走っている。
コースは次の交差点を左折。(北東)

つづく。



12月25日(月)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り5

天保山渡船場(築港乗り場)を振り返って撮影。


ここへ来たら、当然?ながら“日本一低い山”(但し、標石をもつ山の中では)天保山に登る?


二等三角点が埋められていた。
標高4.53メートル。



天保山大観覧車を正面に見て西方向、天保山公園を歩く。


天保山跡の石碑。
下記サイトによると、
天保山(てんぽうざん)跡

天保2年(1831)安治川とその港口を浚渫(しゅんせつ)したとき、その土砂を積み上げてできた山。
工事は市民のきょ金と、連日数千人の人海戦術とで2年近い期間を要した。
出入船の目標となったところから、目印(めじるし)山ともよばれた。
完成後は桜を植えるなど行楽地となっていたが、安政元年(1854)ロシア軍艦が沖合に現われ、それ以来砲台の築造が行われ、風致は失われた。
また明治元年、わが国初めての観艦式の行なわれたところである。

つづく。



12月25日(月)06:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

大阪市渡船場八ヶ所巡り4

乗船中の様子。
この時間帯、此花区側(桜島)から港区側に乗船する外国人はいなかった。
退社時間帯は多いのだろう。



安治川の川幅はびっくりするほど広い。
頭上の道路は阪神高速5号湾岸線。
左に見える茶色の建物は「リーベルホテル・アット・ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」。



港区側(築港乗り場)に到着。


天保山台場跡 (港区築港3丁目)

嘉永6(1853)年のペリーの浦賀来航以後、幕府は天保山台場を中心とした大阪湾岸の防備が大坂市内や京都御所を守衛する上からも重要と考え、安政3(1856)年7月に、この地の砲台建造に着手した。
 大阪市教育委員会



前方の船でオレンジ色の服を着た人が何か訓練をしている様子で、緊迫した状況が漂っていた。

つづく。



12月25日(月)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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