山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年12月3日を表示

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺5

拝殿、本殿へと続く長く急な石段。


「石神社」
「御祭神」 【詳細省略】
石姫命 石長姫命 熊野権現
「由緒」 【詳細省略】
石姫命、石長姫命ともに当地に祀る由縁もなく、熊野権現は江戸時代に高野街道沿いで熊野権現社とも称され祀っていたもので特定の祭神ではなく、磐座信仰に由来する自然信仰から産土神へと、地域に根差した神社とも考えられています。

上記、説明書きの由緒によると、この神社は神話に登場する特定の神ではなく、古くは自然信仰(磐座信仰)に由来する神社なのだろう。



智識寺の東塔に使用されていた塔心礎。
【コラム】聖徳太子と柏原 (6)聖徳太子と智識寺



智識寺東塔刹柱礎石 (大阪府指定文化財)
       石神社
智識寺は奈良・平安時代河内を代表する大寺院で、東大寺大仏造顕の機縁となった大仏を本尊とし、聖武・孝謙帝、藤原頼道などの参詣、法華寺への胴の運上といった動きが知られています。
伽藍は東・西二塔をもつ薬師寺式の配置で、この刹柱礎石は、東塔跡と推定される太平寺二丁目一八-七・山本義一氏宅地東南角の土蔵付近から出土したものです。
花崗岩製で、この塔心礎の柱穴の直径は一二二センチあり、この上に建てられていた塔は高さ四八、八メートルの五重塔であったと推定されます。
智識寺の大仏は高さ一八メートルと伝えられ、この礎石から推定される塔も、そうした巨大な仏像を本尊とする大寺院にふさわしい大きさです。
   大阪府教育委員会 柏原市教育委員会



石神社を後にする。
太平寺地区総合案内板が掲げられていた。

つづく。



12月3日(日)06:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺4

歴史の丘(展望台公園)から降りて来たところから、石(いわ)神社の境内に繋がっている。


ここにも智識寺跡の説明板がある。

「この付近一帯には、「智識寺」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から太平寺廃寺とも呼ばれています。
奈良時代、聖武天皇や孝謙天皇は、平城宮と難波宮の往来の途中に柏原の地を訪れ、智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、鳥坂寺の六寺に礼拝、礼仏されました。
中でも智識寺には大きな盧遮那仏があり、それを見た聖武天皇は、その立派さに感動し、奈良東大寺の大仏を造るきっかけとなりました。
智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、智識寺は、これら智識によって建てられた大規模な寺院でした。
智識寺は東西に二塔を配する薬師寺式の伽藍配置であったと推定され、東塔跡の一部が過去に調査されています。
出土した瓦から、千三百年以上前の飛鳥時代末期に創建され、室町時代頃に廃絶したようです。
石神社の境内には、東塔に使用されていた塔心礎を始めとする礎石が移されています。
  平成七年三月 柏原市教育委員会」



巨大なクスノキ。
逆光になった。



幹の太さが圧巻、スケールが違う。


説明書きによると、樹齢800数十年。天然記念物。(大阪府指定)

つづく。



12月3日(日)06:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺3

展望台から北方向、一際目立つクスノキの巨樹が見られた。
この後に訪れる、石(いわ)神社の境内に生えているのだろう。



展望台から、車椅子でも通れそうな緩やかな傾斜の道を下る。
画像の彼女たちは、木を見上げて何やら驚いている様子。
実は私も今しがた下って来た時、この木は一体ナニモノ?と内心思っていた。



今まで、このような幹に直接、多くの果実が生っている木を見たことがない。
イチジク(無花果)の実のようにも見えたが、イチジクではないことは明らか。
後で、アコウ(榕)という名前の木であることを知った。

アコウの実
アコウ (植物)



歴史の丘(展望台公園)の案内板が掲げられている。
裏側から到着したようだ。



すぐ横にはぶどう畑が広がっている。
「太豊(たいとよ)ぶどう園」の看板が掛かっていた。

つづく。



12月3日(日)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺2

地蔵堂らしきお堂があった。
堂内を覗いて見たが、垂幕と涎掛けが邪魔をして、お姿がさっぱりわからない。
リーダーがストックを使ってみたが分からなかった。残念。



この先、石段を登る。
道標は「↑太平寺」と表示。
尚、太平寺というお寺はなく地名として残っているようだ。



石段の登り口に「業平道←」更に「智識寺跡 石神社 歴史の丘 総合案内板」の表示があった。


直進は下り道。
右方向は「遊歩道(展望台出入口)」の表示があり、展望が良さそうなので、右の石段を登る。



いきなりだが「智識寺」の説明板。
文字が読み辛いので、下記ウィキペディアのサイトを参照。
尚、説明板にある写真の五重塔は追記した想像図。
(心礎(しんそ)の規模から塔の高さは約50メートルと推定)
【参考】
智識寺跡

「智識寺は、山下寺・大里寺・三宅寺・家原寺・鳥坂寺とともに「河内六寺」と総称された寺院。
古代日本において、「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立された、
つまり民間の力で建てられた寺院を「知識寺」「智識寺」と称したが、その中でも河内六寺のひとつ、
河内国の知識寺は後に「日本三大仏」に数えられた廬舎那仏を安置するなど、その規模の大きさで知られていた。」

つづく。



12月3日(日)06:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺1

2023年10月26日(木)は、ササユリの会に参加した。
題して「吉田初三郎鳥瞰図の世界を歩く5~安堂から高安まで~」。

コース
近鉄大阪線安堂駅_智識寺(ちしきじ)跡説明板_歴史の丘(展望台公園)_石(いわ)神社_カタシモワイナリー_ぶどうの小道_鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社・昼食_若倭彦(わかやまとひこ)神社_瑠璃光禅(るりこうぜん)寺_若倭姫(わかやまとひめ)神社_安養寺_善光寺_旧陸軍大正飛行場垣内掩体壕(えんたいごう)跡_近鉄大阪線高安駅

画像は当日歩いたGPSログを表示。
【参考】
吉田初三郎



集合場所の安堂駅前にて。
本日も快晴。



駅前に設置された「安堂駅周辺案内図」を見ながら、Tリーダーよりこれから歩くコースについて話を聞く。
この地図で、これから訪問する場所にアンダーラインの赤線を引いた。
安堂駅→歴史の丘→石(いわ)神社→ウイナリー→業平道→鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社。



傾斜地に建てる建物として石垣を利用しているが、大和川の水害対策もあるかもしれない。


いかにも旧道といった趣きがある。
道路が狭くクルマもほとんど通行しない。

つづく。



12月3日(日)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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