安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺1 |
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| 2023年10月28日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「新沢千塚古墳公園を散策」。 新沢千塚古墳公園を訪れるのはこれが初めて。
コース:近鉄橿原線畝傍御陵前駅_神武天皇陵参道_山本町_安寧(あんねい)天皇陵_新沢千塚古墳群公園_久米寺_近鉄橿原線橿原神宮前駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示。
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| 近鉄橿原線畝傍御陵前駅。 地上駅だが、他の近鉄の駅によくある駅舎(改札口)は地下。 外観は大和棟古民家風の造り。
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| 信号機のある交差点で県道125を横断し右へ。(北)
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| 県道125の歩道を北へ歩く。
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| ムラサキシジミだろう。
つづく。
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12月8日(金)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺29/29 |
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| 掩体壕を後にして田んぼの畦道を歩く。
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| 高安駅へ向かう。
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| 畑の畦道に植えられていた。 パパイヤ(蕃瓜樹)だろう。
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| 恩智川に架かる橋を渡り、高安町南一丁目を西へ歩く。
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| 前方、踏切の手前を右折して、15時11分、近鉄大阪線高安駅にゴールした。
おしまい。
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12月8日(金)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺28 |
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| 善光寺前の道を南へ歩く。 この日の最後の訪問ポイントとなる、旧陸軍大正飛行場垣内掩体壕(かいちえんたいごう)跡へ向かう。 赤矢印の通り進む。
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| 田んぼの畦道を歩いて到着。 周囲は畑。 下記サイトによると、 大阪唯一の「掩体壕」など 戦争遺跡を辿る案内人の思い
掩体壕(えんたいごう)は、第2次世界大戦中、戦闘機などを敵機の攻撃から守るため、全国各地に築かれた格納庫。
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| 別の角度から撮影。 コンクリートらしき頑丈なもので造られている。 ここへ飛行機を格納した。
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| 内部は現在、農道具などを収納している。 ここは個人の私有地となっている。
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| 掩体壕をバックに記念撮影。
つづく。
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12月8日(金)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺27 |
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| 「元善光寺」の名前が見える。(赤線を引いた部分)
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| 境内に置かれていた二つの自然石の道標。 右側の石には「左 善光寺」と刻まれている。
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| 左側の石には「右 善光寺」。 どちらの石も、他の場所に置かれていたものを、道路工事などの事情で、ここへ移動したようだ。
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| 不断山善光寺と称し一光三尊の阿弥陀如来を本尊とする。 元善光寺ともいい、本田善光が難波の堀江に於いて仏像を感得し、信濃へ帰る途中ここに一泊し、まずその分身をまつり庵をたて翌年再び訪れて当寺を建立したものと伝える。 境内には府天然記念物の大樟樹があり不断梅、信濃柿とともに三名木としてその由緒を語るものがある。 毎年四月、九月の十六日には盛大なお通夜行事が行われ翌朝ご本尊の開帳がある。 八尾市教育委員会
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| 善光寺を後にする。 右は自然石の道標。 「右 善光寺」と刻まれているようだ。
つづく。
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12月8日(金)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺26 |
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| 子守社付近から大きなクスノキが見えたので、そこが善光寺だろうと、目星をつけて歩いたが、入口がわからない。 地図を見ると位置としては子守社の西に隣接している。 結局、大きく西へ回り込み左折(南)すると善光寺の参道があった。
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| 門前に「名木 きとくの楠 志なの柿 ふだん梅 不断山 善光寺」と刻まれた碑がある。 境内を見渡したが、楠はここからも見えるが、柿と梅は特定出来なかった。
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| このクスノキ、お化けみたいに大きい。 不気味なくらい。 善光寺のくす
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| 境内に善光寺の名前の由来となった本田善光の像が建っている。
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| 下記のサイトによると、 本田善光
本田 善光(ほんだ よしみつ、本多 善光とも)は、飛鳥時代の人物。 善光寺の名の由来となった。架空の人物だという説もある。
つづく。
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12月8日(金)05:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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