安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺6 |
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| 「西池尻共同墓地」の石柱が立つ。 墓地の中に入らずに横を通り抜けられそう。
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| 地蔵菩薩立像だが、右に刻まれた文字?が読めない。 左にも文字が刻まれているが、同一の石工が刻んだようには見えない。 右側の文字は悪戯とは思えないが。
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| 新沢千塚古墳群公園へ続くであろう小道を歩く。
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| どうやら入れたようだ。
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| 「新沢千塚古墳群公園 北群案内図」。 現在地は地図の中央より少し下。 アジサイ広場の横。 サブエントランスの表示がある。
後でわかったが、この地図は北群エリアのみで、南群エリアもあった。
つづく。
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12月9日(土)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺5 |
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| 道路脇に「第三代 安寧天皇陵」の道標が立ってある。
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| 安寧(あんねい)天皇陵を正面から撮影。
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| 「安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵」と記されている。 下記サイトによると、 日本の第3代天皇・・実在性については諸説ある。
安寧天皇
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| 安寧天皇陵を後にし、この日のメインとなる新沢千塚古墳群公園へ向かう。 近鉄南大阪線を横断、高取川に架かる橋を渡り、橿原市吉田町から西池尻町へと歩いて来た。
広大な新沢千塚古墳群公園の場所はわかる。 しかし、公園の裏方向(北端)から歩いて来ているので、公園へ至る道と入口がよく分からない。 やむなく田んぼの畦道を歩くことに。
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| 前方に見える、こんもりとした盛り土が古墳の一つだろう。 その左に小道が見えたので、そこへ向かって歩くことに。
つづく。
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12月9日(土)06:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺4 |
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| 畝傍山周辺案内図。 この地図は上が西を示している。 現在地は右上。 この後、南(左)へ歩き、安寧天皇陵に立ち寄る。 近鉄南大阪線を横断して、更に南へ向かうが、この地図にはその先の記載がない。
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| ここよりもう少し離れたところから、「雪の元」の看板が見えたので、酒蔵かと思っていたがそうではなかった。 この看板には“ひふ外用薬”とあるので製薬会社らしい。
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| 道幅が狭くなっており、クルマの通行に注意して歩く。
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| 「雪の元」の立派な建物が見えて来た。 下記サイトによると、橿原市に本社を置く製薬メーカー。 明治32年、前身である「大谷屋藤本薬房」創設以来・・
株式会社雪の元本店
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| この道路はクルマの通行量が多く、地元ドライバーの“抜け道”となっているようだ。
つづく。
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12月9日(土)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺3 |
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| 前方に見える高取川に沿って左(南)へ歩く。 高取川の土手には桜が植えられているようだ。
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| 高取川に架かる橋を渡らず、橋の手前で左折。
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| 暫く高取川の流れと並行して歩く。 (撮影した付近からは高取川は見えない)
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| 吊るし柿にする渋柿だろう。 吊るし柿にする頃合は“木枯らし一号”が吹いた時期が良いという。 理由はそれより早く吊るすと、カビが生えるから。 尚、近畿地方の2023年の木枯らし一号は11月11日だった。
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| 「禅 曹洞宗 慈明禅寺」の寺標と鳥居が立つ。 右手に池があり、その奥にあるようだ。 この日は立ち寄らず。
つづく。
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12月9日(土)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺2 |
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| 県道125から離れ、神武天皇陵参道を歩く。 前方に見えるのが神武天皇陵。 コースは参道の途中で左折する。(西)
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| この階段を登る。
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| 森の中に整備された幅広の歩道が橿原市山本町へと続いている。
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| やがて森の中を抜け、山本町の集落の中を歩く。 画像は現在建設中の県立医科大学新キャンパス。
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| 山本大師惠泉寺前を通過。
つづく。
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12月9日(土)06:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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