山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年12月6日を表示

リー・コニッツ デュエッツ

リー・コニッツ デュエッツを視聴してみよう。
Lee Konitz
The Lee Konitz Duets

デュエッツ
1.Struttin' With Some Barbecue
2.You Don't Know What Love Is
3.Variations On ALONE TOGETHER
4.Checkerboard
5.ERB
6.Tickle Toe
7.Duplexity
8.Alphanumeric
【Deepl翻訳】
1.ストルッティン・ウィズ・サム・バーベキュー
2.ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
3.ALONE TOGETHERのバリエーション
4.チェッカーボード
5.エルビー
6.ティックル・トゥ
7.デュプレックス
8.英数字
Recorded at Plaza Sound Studios, New York City;September 25, 1967






12月6日(水)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺20

付近の住所表示は「恩智南町四丁目」。

紫色のハイビスカスだが、あまり見かけないタイプ。
伊良湖岬のハイビスカスでデニムブルーという品種かな。
ハイビスカス デニムブルー



小堂が見えたので立ち寄ってみた。


巽地蔵と表記されていた。
中を覗いてみようとしたが鍵が掛かっていた。



「史跡の道」と刻まれた道標。


太陽を浴びて咲くピンクの「オキザリス」。

つづく。



12月6日(水)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺19

小さい柿の実が沢山生っている。
これも渋柿だろう。



長茄子。
近辺ではほとんどこのような茄子は見かけない。
しかし、大阪府では「大阪長茄子」として栽培されているようだ。



「史跡の道 八尾市」の石柱。
左側面には「←感応寺 / 恩智神社」と刻まれている。
恩智神社方面へ向かう。



無人販売所が設けられていた。
珍しく私はここで5個100円の地元で栽培さた柿を買った。
通常は荷物になって重いので買わないことが多い。



「おれんじぽっと」というのは、この無人販売所の名前らしい。
他の人も買っていた様子。

つづく。



12月6日(水)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺18

山井寺の境内からの眺め。
平地より若干標高が高いので、付近を見渡すことが出来る。



モクレン(木蓮)の実だろう。
秋に赤い実をつける。



瑠璃光禅寺の境内で休憩中。


来た道を途中まで戻り、北方向に伸びる小道を歩く。
前方に墓地(来迎寺墓地)が見える。



墓地の隅っこに置かれていた。
「奉納西國三拾三所 順禮」と刻まれているようだ。

つづく。



12月6日(水)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺17

瑠璃光禅寺に隣接する若倭姫(わかやまとひめ)神社に立ち寄る。
画像は拝殿。
光不足で上手く撮影出来ていない。



式内 若倭姫神社

御祭神 若倭姫命
祭日  夏祭 七月三一日
    秋祭 十月十五日
由緒
当社の創立年次は詳らかではない。
延喜式内の古社にして、大日本史及び式内細記に清和天皇貞観元年八月丙申従五位下を授け、醍醐天皇延喜の制祈年祭並びに加鍬一口とあり、又河内志神社要録には今春日八幡(春日白山)と称し此地の産土神とす、とある。



山井寺に立ち寄ってみる。
参道まで戻らなくても、横つなぎに道が続いていた。



地蔵菩薩立像。


お地蔵様の横にも石仏が祀られていた。
阿弥陀さん?

つづく。



12月6日(水)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺16

「石造 如来形座像
 石造 菩薩形立像
         瑠璃光寺

この小堂には二体の石仏が安置されています。
いずれも古墳時代後期の凝灰岩製家形石棺の奥蓋部を転用したもので、こうした石仏は市内の高井田、青谷地区でもみることができます。
右側の如来形座像の背面には屋根形、縄掛突起などの石棺の旧状がよく残されています。
高い肉髻(にっけい)、長く豊かな耳、平行に走る納衣の線など、量感にあふれた鎌倉時代初期の作風が窺われます。
左側の像は頭部を欠損していますが、衣の襞の線、天衣のような線が見えること、両手のあらわす容姿などから菩薩立像と思われます。
この二体の石仏は、かつて野道の傍に半ば埋もれた状態で置かれていたものか、農具や刃物などの研ぎ痕が処々に見られます。
         一九八九年三月  柏原市教育委員会」



説明書きにある如来形座像。
鎌倉時代初期の作風。



頭部が欠損。
説明書きによると菩薩立像とみられる。



二尊石仏。
左側が地蔵菩薩、右側が阿弥陀如来だろう。



境内に「高田川音吉之碑」と刻まれた石碑が立つ。
下記サイトによると、地元出身の力士とのこと。
高田川部屋ブログ

「年寄・高田川の名跡は大阪相撲の名跡であり、比較的新しい頭取名で明治になって創設されたものです。
(頭取とは現在の年寄の意)
初代は高田川 音吉。
現在の大阪府柏原市山ノ井町出身の前頭上段力士・高田川です。
現役時代の四股名をそのまま頭取名としたものです。」

つづく。



12月6日(水)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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