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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年1月11日を表示

鈴木良雄&山本剛 Loving Touch

鈴木良雄&山本剛 Loving Touchを視聴してみよう。
鈴木良雄
Tsuyoshi Yamamoto

Yoshio Suzuki & Tsuyoshi Yamamoto - Loving Touch (2020)
1.ラヴィング・タッチ
2.朝日のごとくさわやかに
3.キスは風にのって
4.ブルース・フォー・エディス
5.クレオパトラの夢
6.ミスティ
7.サマータイム
8.ラスト・タンゴ・イン・パリ
9.レフト・アローン
......
Bass – Yoshio Suzuki
Piano – Tsuyoshi Yamamoto
発売日:2020年04月08日


【参考:山本剛】
山本剛トリオ Misty
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc66iD65880DD4/1/
山本剛トリオ ブルース・フォー・ティー
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc66Sy654CCDC9/1/
山本剛トリオ Midnight Sugar
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc65fx63E1FCFD/1/



1月11日(木)20:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社18

相変わらず、くねった急坂を下る。


軽トラが駐車していた。
右の後輪が道路ギリギリのところで停車している。
運転手は左ドアから下車したのだろう。



眼下に先程歩いていた車道(府道183号本堂高井田線)が見えた。(赤丸印)
そして、この後に歩く道とガードレールが撮影した画像に写っていた。(赤矢印)



この先、ほぼ直角に右へカーブする。


次もほぼ直角に右へカーブ。
なので“コ”の字形にカーブしている。
先程撮影した画像に写っていたガードレールは、このガードレールの延長線上のもの。

つづく。



1月11日(木)06:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社17

右折すると、その先は道なりに左折。


掲示板に「工事用車両の運行経路全体図」が掲載されていた。
赤ペンで手書きされている「里山公園」(竜田古道の里山公園)は、この日の昼食場所。
赤矢印の先が、ほぼ現在地。



道路と民家の軒の高さが同じくらい。


下って来た坂道を振り返って撮影。


この先、分岐。
全体の方向としては左下なので、ここは左折した。
後でわかったが、どちらに行っても、先程歩いていた車道(府道183号本堂高井田線)に合流する。
しかし、左折すると軽トラを含めクルマの通行は難しそうに見えた。

つづく。



1月11日(木)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社16

お堂?の中を覗いてみたが、祭神は何処にも祭られていなかった。
というより、物置のように道具などの物品が無造作に置かれていた。
建物自体は比較的新しいのでおかしいと思った。
しかし、この時、私は単独行動で、皆と離れて行動していたので、あまり深入りしなかった。

下記のサイトを見て、
大狛神社

後でわかったが、ここは拝所でこの中に入って本殿を拝む。
今となっては、記憶が曖昧だが、拝所の入口は鍵が掛かっていたように思う。

本殿は赤矢印の通り、この建物の右横から進むと、右斜面の石段を登ったところにある。



大狛神社を後にして、登って来た石段を戻る。
かなりの急坂になっており、手摺が設けられていた。



集落の中に続く道を歩く。
この道は普通車の通行は出来ないと思う。



三叉路に出合い左折。(南)


急坂を下ると、この先も三叉路となっている。
道なりに右へ。
右手前と左下は民家の入口に続いていた。

つづく。



1月11日(木)06:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社15

道路はS字形に曲がりくねっている。


集落の中に続く道なので、集落に関係のないクルマはまったく通らない。
この先、右にカーブ。



南側斜面に何軒かの家が建っている。
右の石段横に植えられているのは枝垂桜。



里山的な風景。


石段が続いていたので登ってみるとお堂?と案内板がある。

古代の本堂 -河内国大県郡巨麻(こま)郷と大狛(おおこま)神社-

柏原市本堂は信貴山朝護孫子寺南側の山間地にあたり、古代には河内国大県郡巨麻郷と呼ばれ、狛氏が住んでいた土地です。
狛氏は朝鮮半島の高句麗から移り住んだ人々で、同族が畿内一円に繁栄しました。
天台宗の総本山である比叡山延暦寺の第四世天台座主(住職)を務めた安慧(七九四?-八六八)は、河内国大県郡出身の大狛氏と伝えられています。
ここ大狛神社にはその祖先神や大山咋神・木花開耶姫神・山王権現・富士権現等が祀られています。
本堂のような急峻な土地に一郷をたて、集落が営まれた背景には、七世紀後半の政治情勢がありました。
当時、わが国と新羅・唐とは戦争状態にあり、防衛拠点として生駒山地の高安山から信貴山にかけて高安城が築かれました。
「柏原市史」は、その維持・管理を担う要員や資材を確保するため、隣接した土地に集落が営まれたのではないかと指摘しています。
  平成二四(二〇一二)年一二月 柏原市教育委員会

つづく。



1月11日(木)06:06 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社14

左手にお寺らしき建物が見えた。


「真言宗 竹林寺」の寺標。
竹林寺と云えば、奈良県生駒市にある同名のお寺(行基の墓がある)を思い浮かべるが関係ないようだ。



お寺の前に分岐がある。
コースはこのまま車道を下る予定だった。
しかし、車道歩きは危険。
スマホを取り出してマップを見ると、どうやら集落の中に続く旧道だった。
この道を歩いてみることになった。
分岐のところに道標らしきが見えた。



道標と云えるかどうかわからないが、「Hondo Kashihara CT」と記された案内板?が立つ。
Hondoは“本堂”で集落の名前。
しかし、“Kashihara”の表記は間違っていると思う。
正しくは“Kashiwara”だろう。
“Kashihara”だと橿原となる。
この案内板を立てたのは地元の人ではないと思う。
尚、最後の文字“CT”は不明。



道はこの先、左にカーブしているが、前方に教会らしき建物が見えた。
しかし、近づいてよく見ると教会ではなく個人の家らしかった。

つづく。



1月11日(木)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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