山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年1月14日を表示

吉村弘 A・I・R (Air In Resort)

吉村弘 A・I・R (Air In Resort)を視聴してみよう。
AIR IN RESORT(1984) 資生堂「春の化粧品デー」プレゼント用LP
吉村弘
Hiroshi Yoshimura

Hiroshi Yoshimura - A・I・R (Air In Resort) (full album)
Forest Side
A1 森の夜明け (Mori No Yoake) 0:00
A2 小川にそって (Ogawa Ni Sotte) 6:20
A3 小鳥たこちのカフェ (Kotoritachi No Kafe) 12:15
Sea Side
B1 きらめく海 (Kirameku Umi) 18:20
B2 カモメの水平線 (Kamome No Suiheisen) 24:47
B3 砂の星 (Suna No Hoshi) 29:45
.......
Ambient/new age piece from Hiroshi Yoshimura. All pressings were pretty crackly but the beauty shines through


【参考】
吉村弘 GREEN
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc65iD647F263A/1/
吉村弘 Flora 1987
http://okanara6310843.btblog.jp/cm/kulSc658N643FC960/1/



1月14日(日)19:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社32

三郷町指定文化財

三室山古墳二号墳(南側)
三室山古墳三号墳(北側)
この古墳は七世紀前期に築造されたと推定されている。
両古墳とも方形墳で、三方に掘を巡らせた長辺二一・五m、短辺一七・五mの同一規模の双墓で、更に一つの墳丘に二つの石室を持つ双室墳である。
この古墳のように方墳の双墓に二石室を築いた例は少なく飛鳥時代の墓制を考える上で貴重である。
  平成二十五年三月  三郷町教育委員会



付近を探すと、石室の入口が見つかった。
二号墳の南石室と思われる。
ライトがあれば、中を覗けたかもしれない。
入室は出来なくはないが、這って歩くことになる。
もう一方の北石室は、探索したものの、それらしき入口は見つからなかった。
又、北側に位置するもう一つの三号墳も特定出来ず。
【参考】
三室山2号・3号墳
三室山古墳群



来た道を戻り、引き続き下る。


前方が明るくなり、住宅地に出た。
コースは右へ折れる。



一瞬、堰堤かと思ったが、そうではなく石段だった。

つづく。



1月14日(日)05:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社31

道なりに下る。


カエデにも引けをとらないドウダンツツジの紅葉。

画像の右端に少し写っているがトイレがある。



トイレから少し下って左側に北東方向への分岐。
以前、一度歩いたことがある。
予定外だったようだが、今回は左折してこの道を歩くことに。



すぐに三叉路となり右下へ。


しばらく下ると「三室山古墳」の案内板が立つ。
以前歩いた時は、この前を通り過ぎただけ。
今回は立ち寄って見ることに。

つづく。



1月14日(日)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社30

龍田古道推定ルート。


龍田古道は奈良時代に平城京と難波宮を繋いでいた官道で、天皇の行幸や遣唐使・遣隋使の往還にも利用された道です。
法隆寺や平隆寺、龍田大社、竹原井頓宮や河内六寺、河内大橋などが道中に置かれていました。
特に大和と河内の境にあたる山間部は龍田山と呼ばれ、多くの万葉歌にも桜の名所として詠まれたほか、平安時代には現在の大和川は龍田川と呼ばれ、紅葉の名所として親しまれていました。
現在地の展望台を通る道は龍田古道の山間部を抜ける分岐ルートの一つで、龍田大社の管理地である三室山を抜ける通称「神降りの風道」と呼ばれる道です。
磐座や御座峯などの龍田大社の祭祀に関連する神域を抜ける道となっており、柏原市の雁多尾畑・青谷にある金山媛神社・金山彦神社を通ります。
この道以外にも最も標高差のない大和川沿いを通り地滑りの難所である亀の瀬を抜けるルートも確認されており、分岐ルートは竹原井頓宮跡のある柏原市・青谷で合流するようになっています。
龍田古道は聖徳太子(厩戸の皇子)が大陸との交流のため設置したことに始まるとも考えられ、大和川の水運とともに近世まで続く交通・物流の大動脈でした。
三郷町では、町制50周年を記念して、三室山の展望台に桜と紅葉の植樹を行い、多くの方が訪れる名所となるよう整備を行っています。
是非この場所から周囲を望み、龍田という地域の立地と歴史背景、龍田古道を通った人々の心情を感じてください。
  平成30年3月 三郷町・三郷町教育委員会



三室山展望台を後にする。


奈良県側に入ると、この道標(龍田古道)が案内してくれる。


分岐を振り返って撮影。
右上の道から下って来た。

つづく。



1月14日(日)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社29

三室山、四等三角点。
点名:三室山、標高:137.06m。



ここまで歩いて来た龍田神社本宮跡などを示した龍田古道の道標。
“留所”と表示されているが、以前はなかったように思う。
追記されたのかもしれない。場所、由緒は不明。



東屋の壁に山名板が掲げられていた。
「三室山 137.3m 葛城の雀」。
“葛城の雀”は、この山名板を置いた人の仮名。
奈良近辺の低山に、この人が設置した山名板を見ることが出来る。



二階建てとなっている櫓風の東屋から降りる。


周辺の樹木が生長し、展望が遮られている。
夏場だと、ここからの展望はほとんど期待出来ないのでは。

つづく。



1月14日(日)05:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社28

暫く下ると分岐があった。
方向的には左だが、踏み跡が薄く、右の方がよく歩かれているように見えたので右へ。
ところが、谷筋に降りるようなので、分岐まで引き戻る。

分岐点に、下草で隠れていた「龍田の瀧→」の道標があった。
“龍田の瀧”は初耳。
道標をよく見ると、右端に「行き止り」、約3丁などと記入されていた。
機会があれば訪れてみたい。



分岐から左(東)の道を下る。
自然林の明るい森。



やがて正面が開けコブに出る。


三室山山頂に到着。
画像は櫓風の東屋。
東屋には先客がいた。



東屋の右下に三角点がある。(赤丸印)

つづく。



1月14日(日)05:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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