山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年1月12日を表示

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社22

車道からの眺望。
奈良盆地の南部だが、ここからの眺望はあまり馴染みがないので、山々を特定出来なかった。
山を眺める角度が違うと、別の山に見えたりもする。



振り返って北方向を撮影。
山腹に見られる集落は先程歩いていた本堂地区。(赤丸印)



見覚えのある車道が大きくカーブしているポイントに差し掛かった。
センターラインに杭が埋められている。



「カーブ 多し スピードダウン」の警告表示。


“八土-32”
高井田方面へ行くにつれ数字が大きくなっていた。

つづく。



1月12日(金)07:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社21

車道(府道183号本堂高井田線)歩きが続く。
前方に黄葉した木々があったので眺めながら歩く。



この道路標示板に記されている“八土-11”だが、“八土”は、大阪府八尾市土木事務所の略語らしい。
“11”は連番。



見覚えのある大阪柏原聖地霊園の入口に到着。
ここも黄葉が良かった。
尚、この霊園の中に入ったことはない。



車道は上り下りが連続した。
地形から考えると、全体的には下りだが、現実は上りもある。
参加者の中には、この上り坂が苦手な人がいて、ゆっくりペースで歩く。

この先、左方向に分岐がある。



左分岐は地図には表示されていなかったので、途中で行止りかもしれない。
引き続き車道を歩く。
このまま車道を歩けば、確実に昼食場所の竜田古道の里山公園に辿り着く。

つづく。



1月12日(金)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社20

柿の実が生っていた。
渋柿だろう。



この先、十字路になっている。
スマホを取り出し、直進(旧道)した場合のコースをチェックした。
すると、三郷町立野北方面へ続いており、意図していない方向なので、右折して車道歩きとなる。



十字路から振り返って撮影。
降りてきた道には、葉っぱが積もっており、クルマが通行していないように見える。



車道を暫く下ると、道路の補修をしている現場に出た。
作業をしている人に、この先の道を尋ねたが、地元の人間ではないので分からないとの返事。

やがて、右側に分岐があった。
これは本堂の集落から下ってくる道だろう。
先程、三叉路で右折したら、この道に繋がっているようだ。
分岐には“本堂”と記されたポールが立っていた。(画像)



分岐で休憩となる。
この分岐には、道路標識が取り付けられており、左方向はクルマが通行可能となっている。
休憩していると、一台の普通車がやって来て、左折して行った。

ところで、この本堂という集落だが、
大狛神社の説明板にあったが、
「柏原市本堂は・・古代には河内国大県郡巨麻郷と呼ばれ、狛氏が住んでいた土地です。」
“巨麻郷”について下記のサイトによると、
巨麻郷

「現柏原市の信貴山南側の山中に本堂という集落があり、式内社大狛神社と伝えられる同名社が鎮座する。
「河内志」「河内名所図会」には、この社が山王社と称されているという。
その社がなぜ大狛神社であるのか、根拠が明確でないが、他に大狛神社の鎮座を伝える地もなく、これによって本堂の地を巨麻郷にあてるのが通説である。
高句麗系渡来人の住みついた地であろう。」

また、下記柏原市のサイトによると、
【コラム】大県誕生から1,300年(5)堅上郡の分離

「「狛」あるいは巨麻(こま)郷の「巨麻」は「高麗(こま)」のことで、高句麗系の渡来系集団の居住地だったと考えられます。」

つづく。



1月12日(金)07:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社19

ここも“激降り”。
右の法面はほぼ直角に建っている。
そして驚くほど高い。
こんな崖のようなところに、わざわざ住居を建築する必要性が、なかなか理解しがたい。



振り返って撮影。


下に見える車道が府道183号本堂高井田線。


再び振り返って撮影。


途中、左に分岐があったが、この道はもう使われていない様子。
ガードレールさえない。

つづく。



1月12日(金)06:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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