朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社22 |
|
|
| 車道からの眺望。 奈良盆地の南部だが、ここからの眺望はあまり馴染みがないので、山々を特定出来なかった。 山を眺める角度が違うと、別の山に見えたりもする。
| |
|
| 振り返って北方向を撮影。 山腹に見られる集落は先程歩いていた本堂地区。(赤丸印)
| |
|
| 見覚えのある車道が大きくカーブしているポイントに差し掛かった。 センターラインに杭が埋められている。
| |
|
| 「カーブ 多し スピードダウン」の警告表示。
| |
|
| “八土-32” 高井田方面へ行くにつれ数字が大きくなっていた。
つづく。
| |
|
1月12日(金)07:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社21 |
|
|
| 車道(府道183号本堂高井田線)歩きが続く。 前方に黄葉した木々があったので眺めながら歩く。
| |
|
| この道路標示板に記されている“八土-11”だが、“八土”は、大阪府八尾市土木事務所の略語らしい。 “11”は連番。
| |
|
| 見覚えのある大阪柏原聖地霊園の入口に到着。 ここも黄葉が良かった。 尚、この霊園の中に入ったことはない。
| |
|
| 車道は上り下りが連続した。 地形から考えると、全体的には下りだが、現実は上りもある。 参加者の中には、この上り坂が苦手な人がいて、ゆっくりペースで歩く。
この先、左方向に分岐がある。
| |
|
| 左分岐は地図には表示されていなかったので、途中で行止りかもしれない。 引き続き車道を歩く。 このまま車道を歩けば、確実に昼食場所の竜田古道の里山公園に辿り着く。
つづく。
| |
|
1月12日(金)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社20 |
|
|
| 柿の実が生っていた。 渋柿だろう。
| |
|
| この先、十字路になっている。 スマホを取り出し、直進(旧道)した場合のコースをチェックした。 すると、三郷町立野北方面へ続いており、意図していない方向なので、右折して車道歩きとなる。
| |
|
| 十字路から振り返って撮影。 降りてきた道には、葉っぱが積もっており、クルマが通行していないように見える。
| |
|
| 車道を暫く下ると、道路の補修をしている現場に出た。 作業をしている人に、この先の道を尋ねたが、地元の人間ではないので分からないとの返事。
やがて、右側に分岐があった。 これは本堂の集落から下ってくる道だろう。 先程、三叉路で右折したら、この道に繋がっているようだ。 分岐には“本堂”と記されたポールが立っていた。(画像)
| |
|
| 分岐で休憩となる。 この分岐には、道路標識が取り付けられており、左方向はクルマが通行可能となっている。 休憩していると、一台の普通車がやって来て、左折して行った。
ところで、この本堂という集落だが、 大狛神社の説明板にあったが、 「柏原市本堂は・・古代には河内国大県郡巨麻郷と呼ばれ、狛氏が住んでいた土地です。」 “巨麻郷”について下記のサイトによると、 巨麻郷
「現柏原市の信貴山南側の山中に本堂という集落があり、式内社大狛神社と伝えられる同名社が鎮座する。 「河内志」「河内名所図会」には、この社が山王社と称されているという。 その社がなぜ大狛神社であるのか、根拠が明確でないが、他に大狛神社の鎮座を伝える地もなく、これによって本堂の地を巨麻郷にあてるのが通説である。 高句麗系渡来人の住みついた地であろう。」
また、下記柏原市のサイトによると、 【コラム】大県誕生から1,300年(5)堅上郡の分離
「「狛」あるいは巨麻(こま)郷の「巨麻」は「高麗(こま)」のことで、高句麗系の渡来系集団の居住地だったと考えられます。」
つづく。
| |
|
1月12日(金)07:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|
朝護孫子寺_三室山_三室古墳_龍田大社19 |
|
|
| ここも“激降り”。 右の法面はほぼ直角に建っている。 そして驚くほど高い。 こんな崖のようなところに、わざわざ住居を建築する必要性が、なかなか理解しがたい。
| |
|
| 振り返って撮影。
| |
|
| 下に見える車道が府道183号本堂高井田線。
| |
|
| 再び振り返って撮影。
| |
|
| 途中、左に分岐があったが、この道はもう使われていない様子。 ガードレールさえない。
つづく。
| |
|
1月12日(金)06:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
|