山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年1月4日を表示

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社11

珍しい銅板を使った家屋。
町家の格子も見られた。



南海高野線の踏切を横断しようとしたが、丁度、電車がやって来た。
画像の右に見えるのが、これから訪れる止止呂支比賣命(とどろきひめみこと)神社、鎮守の森。



電車が通過するのを待つ。


止止呂支比賣命神社にお参りする。


境内末社。
扁額には「霰松原荒神」(あられまつばらこうじん)と記されている。
大阪市住之江区安立の天水分豐浦神社から、明治四十年(1907年)に、ここ「止止呂支比賣命神社」に遷御されたようだ。
(このことは後述する天水分豐浦命社社号標石の説明板に記載)

つづく。



1月4日(木)07:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社10

供養塔らしきを撮影していると、隣にお地蔵さんが立っていた。
お地蔵さんを撮影しようとしたら、その後に、お向かいの家の人が写ってしまった―笑。
なんか、ほのぼのとした雰囲気。



「熊野かいどう」の説明板。

熊野街道は 熊野詣でが盛んになった平安時代後期から鎌倉時代にかけて整備された
起点は渡辺の津(現在の中央区天満橋京町 江戸時代には八軒家浜と呼ばれた)で 当時 ここから終点となる熊野本宮までの道筋には 一里塚や 九十九王子をまつった社が置かれ 蟻の熊野詣と形容されるほど賑わったという
今はもう この一里塚も市内から姿を消し 社も阿部王子神社を残すのみとなって 往時の面影はなくなったが 熊野街道の名は 多くの人の心の中に生き続けている
 昭和六十一年 大阪市



「敷石周旋人」と刻まれた石碑らしきがある。
“敷石”は、道路などで、地面に敷いた平らな石。
“周旋”は、あまり聞き慣れない言葉だが、
下記サイトによると、
周旋

「周旋(しゅうせん)とは売買や交渉で当事者間に立ち世話をする事である。」

なので、このあたりの道に敷石をされた人の名前を刻んだ石碑だろう。



こちらは道標だが、頭部が欠けている。
付近の地理から察するところ、「あびこ 厄除 觀世音」だろう。



「あびこ 厄除 觀世音」の道標が立つ辻で左折。(東)
熊野街道から一旦、離れる。

このお家は玄関先に日章旗を出している。
最近は田舎でもあまり見ない光景。
(11月23日は勤労感謝の日で祝日)

つづく。



1月4日(木)07:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社9

大阪市立墨江小学校前を通る。
この小学校の場所に、明治元年まで津守廃寺の後見とされる津守寺があったらしい。



津守廃寺

一九四〇(昭和一五)年に、このあたりの道路工事や区画整理工事に伴って、白鳳時代(七世紀後半)の瓦や土器などの遺物が発見されました。
このことから、近辺に古代のお寺があったのではないかと考えられ、住吉大社や住吉の津とかかわりが深い古代氏族の津守氏から、津守廃寺と命名されました。
津守廃寺の後身と思われる津守寺というお寺が、一八六八(明治元)年まで現在の墨江小学校のところにありました。
津守寺は九〇一(延喜元)年に創建されたと伝えられ、薬師如来をまつっていました。
住吉大社とつながりがあったことがわかっています。
また、この津守寺に参拝した人に配られたお札を印刷した版木が残っています。
そこには本堂にまつられていた薬師如来が描かれ、当時の様子を今に伝えています。
大阪市教育員会



熊野街道の新しい道標。
八軒家浜から十二キロメートル。
(八軒家浜の所在地は大阪市中央区天満橋京町 最寄り駅は天満橋駅)



お寺の塀越しに、何やら石造物が見えたので立ち寄ってみる。


お寺は浄土宗 願生寺。
石造物は供養塔らしい。

「南無阿弥陀佛?為万人供養」。

つづく。



1月4日(木)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社8

あまり見かけない菊だが、肥後菊の小菊で御所車(ごしょぐるま)と呼ばれる品種だろう。
国立歴史民俗博物館



右手に、浄土宗 哀愍寺(あいみんじ)の看板。
その左下に赤字で、ちぎり(十徳)地蔵尊と記されている。



下記のサイトによると、ちぎり地蔵(別名:十徳地蔵)とは、字の如く“十の徳”があるお地蔵様ということらしい。
浄土宗 覆護山 冷法院 哀愍寺

❶ 女人安産
女人が安産である
❷ 水火安全
水火の災難がない
❸ 諸病消除
諸所の病いやさわりを除く
❹ 所願成就
願いごとがよくかなう
❺ 寿命長遠
できるだけ長生きできる
❻ 衆人結縁
多くの人と良い縁を結ぶことができる
❼ 神明加護
神の加護を受ける
❽ 旅路加護
旅行をしても無事である
❾ 極楽往生
極楽に生まれる
❿ 悪夢退散
悪い夢をみることがない

残念ながら、お堂の中はよく見えなかった。



「熊野かいどう」の石柱。
いかにも現代風で歴史感がないのが残念。



地面に埋め込まれていた。
昔の名前で表記。
今福村、東成郡、西成郡、天王寺村、平野郷、住吉郡、住吉村、遠里小野村・・・。

つづく。



1月4日(木)07:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社7

虫籠窓の傍に見えたものは鍾馗(しょうき)さん。
鍾馗



この家屋、池田屋の由来について掲示してある。

由来
住乃江味噌は明治の始め当家十七代目池田屋甚兵衛が多年に渉り研究したる手法をもって調製したものであります。
当時宮中出仕の女官若菜局を介し、明治天皇に十五ヶ年の長きに亘り献上致し、引き続き大正天皇、今上天皇の摂政宮殿下時代にも献上の光栄に浴しました。
住之江味噌の命名の由来は、当時摂津一の宮である官弊大社住吉神社宮司男爵津守国栄卿が謡曲「高砂」にも記されている古来よりの名勝住の江の浜に因んで名付けられたものであります。
  池田屋



この家屋は国の登録有形文化財。
築130年以上。

右のメニュー表には、

当店は天文元年創業のお味噌屋さんです。
代表的な商品
・食べる味噌
・料理味噌(お味噌汁)
・佃煮・麹
・和菓子・おつまみ



向かいのお店はパン屋さんのようだが、昔風の家屋で趣があって面白い。
しかし、ネット検索すると、現在は休業中とのこと。



左手に西之坊というお寺があった。
門前に石柱が立つ。
右は「攝州 八十八箇所??」と刻まれている。
“攝州”は“摂州”の旧字体。

左は「方除祈願所」。
下記のサイトによると、
方位神

方除けとは、

「平安時代には、自分が行こうとする方角が凶方位である場合に、一旦他の方角へ行ってから目的地へ向かう方違え(かたたがえ)が盛んに行われた。
現在では、凶方位を犯すことによる災厄を避けるため多くの寺院・神社で「方位除け(方除け・八方除け)」の祈祷・祈願が行われる。」

つづく。



1月4日(木)06:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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