沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳35 |
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| 注連縄だが、普通に思い浮かべるイメージと少し違っている。 もっとも、神社によって作り方が少しずつ違うようだが。
三本の注連縄が太く、全体的に短い。 一本ずつ縄で巻いている。 力強く頑丈に作られているイメージ。 そして、紙垂がなく縄を使っている。 紙垂は何故か上のところに縄と交互に付けていた。 画像の下に、交互に付けていたところを貼り付けた。
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| 鳥坂神社を後にする。
鳥坂神社は小高い丘のようなところに建ち、畝傍山がよく見える。 尚、北側からの参道はない。 平安時代初期に築かれた益田池を東に望む、集落奥の“崖淵”に建っていたようだ。
尚、境内にこの神社の由緒や沿革などを記述したものがなかった。 【参考:神奈備 鳥坂神社】 鳥坂神社
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| 北に向かって歩く。 途中、傾斜地にニホンスイセンが植えられていたので立ち寄った。
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| 「史跡 益田池堤」。 現在は児童公園の一部として残されている。
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| ハルジオンだろう。 【参考】 一発で分かる!ハルジオン・ヒメジョオンの見分け方
つづく。
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3月14日(木)07:28 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳34 |
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| この先、鳥坂神社に立ち寄ってみる。
鳥坂神社の手前、民家の入口と思われるところに、「とびだし ちゅうい」の看板。 遊び心があって楽しい。
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| 右側に見えた建物は市立白橿北小学校と白橿幼稚園。
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| 思いっきり逆光になってしまった鳥坂神社の社号標。
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| 境内には、あちこちにこのような燈籠と石柱が立っていたが、立つ位置がランダム。 他ではあまり見ない光景なので異様に感じた。 ネット検索したが、どうもこれらはかつての境内社の名残りらしい。
そして、玉垣などの寄進者に“森川”姓が多かった。
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| 以前に建っていた棟の屋根の端に使われていた鬼瓦だろう。 これは、魔除け、厄除け、装飾が目的。 鬼瓦
つづく。
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3月14日(木)07:03 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳33 |
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| ブロックで囲まれた建造物の中に祀られていたのは阿弥陀如来と思われる。
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| ライトアップにより鮮明になった。
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| 皆さん、熱心に阿弥陀さんのお姿をご覧になっていた。
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| 暫くしてから、道なりに北へ歩く。
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| 住所は橿原市鳥屋町21。
つづく。
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3月14日(木)06:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳32 |
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| この辺り、元は森林だったのを、田畑として開拓したのかもしれない。
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| 少なくともここでは休耕田や耕作放棄地の類はなかった。
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| ブロッコリーが力強く成長している。 1.日当たり、2.肥料、3.根の発育、4.害虫の4点をクリアしているのだろう。 口で云うのは簡単だが・・。
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| 何か建造物が見えた。 石仏らしい。
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| 建造物の横に「庚申」さん。 生花が手向けられていた。
つづく。
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3月14日(木)06:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳31 |
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| 地蔵峠?から左折(西)、鳥屋町方面へ向かう。
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| 歩き出してすぐ、畑が広がり、農作業用の物置らしきが見えて来た。
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| 獣避けの扉を開閉して農地の中に入る。
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| キンカン(金柑)だろう。
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| ニホンスイセン(日本水仙)とみられる。
つづく。
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3月13日(水)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳30 |
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| フイックスロープは何ヶ所かに分かれて設置されている。 一人が使い終わらないと、次の人が使えないというわけではない。
この後、私も慎重に降りた。
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| 鞍部(地蔵峠?)には「貝吹山城跡→」を示す道標が貼り付けられていた。
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| ここにも。
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| 地蔵峠とみられる貝吹山への登山口付近。 画像は東方向、南妙法寺(町)方面。
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| 後続の人達が続々と降りてくる。
つづく。
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3月13日(水)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳29 |
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| 潅木が生い茂り、やや薄暗い。
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| 今回、貝吹山の北尾根を初めて歩いた。 南尾根と比べ、距離が長く歩き応えがある。 機会があれば登りで歩いてみたいものだ。
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| 赤テープが巻かれており、迷うようなところはなかった。
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| 橿原ニュータウンと見られる集合住宅地が見える。 後方に音羽三山~龍門山地へと連なる山塊。
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| ここから急降下。 フイックスロープを使って降りる。
つづく。
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3月13日(水)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳28 |
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| 下草が刈り取られ、狭い台地状になったところに出た。
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| 「←尾根道 小峠へ(地蔵峠)」。 更に小峠(分岐)の手前に岩場があること、分岐を右折すると南妙法寺(町)、左折すると鳥屋町と記されていた。
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| 蔓で編んだ飾り?
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| 北東方向に音羽三山(音羽山、経ヶ塚、熊ヶ岳)が垣間見られた。
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| ここから更に下る。
つづく。
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3月13日(水)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳27 |
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| 落葉が絨毯のように心地良いが、滑りやすくなっている。
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| 急な坂道を降りると分岐に到着。 左折は寺崎白壁塚古墳方面。 コースは右折して橿原市内へ。
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| 尾根筋に沿って下る。 自然林の森で、こちらは竹林が少ないようだ。
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| 倒木に注意しながら下る。
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| ここから先、また少し傾斜が急になる。
つづく。
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3月13日(水)05:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳26 |
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| 北西方向に二上山。
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| 山頂に取り付けられていた私製の山名板。
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| 風を避けて昼食中の皆さん。
画像右端に見える水色のボックスは簡易トイレだろう。 利用する人はほとんどいないのでは。
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| 昼食後、コースは橿原市方面へ下山する。 「←白壁塚古墳」方面(西)へ進むが、途中で橿原方面(北)へ方向を変える。
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| 下山口から暫く急坂の連続。 その後も、所々傾斜がきついところがある。
つづく。
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3月12日(火)07:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳25 |
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| 山頂は下草が刈り取られフラットになっている。
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| 歴史好きな人やサークルの人達が、このような古い地図や文献のコピーを掲示している。 画像は大和国条里復元図。 県立橿原考古学研究所が編集したコピーと思われる。
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| 貝吹城の概要図。
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| 後続の人達が次々と登ってくる。 ここで昼食だが、風が吹くので、皆さん適当な場所を選んで昼食タイム。
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| 北東方向に畝傍山が見えた。
つづく。
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3月12日(火)07:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳24 |
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| こちらは自然石に「牛頭天王社」と刻まれている。 辺りを見渡したが、社殿らしきはまったくなかった。
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| 「貝吹山城跡」の石碑とその左に三角点が埋められていた。 貝吹山 標高202.58m 四等三角点 点名:與楽。 橿原市の最高峰が高取町との境となるここ貝吹山。 但し、点名は高取町の大字(与楽)が使われている。 因みに橿原市で二番目に高いのは畝傍山199.2m。
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| 山頂付近はサクラなどが植栽されている。
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| 北方向の眺め。 ここにもサクラが植栽されていた。
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| 西方向。 左(南)に金剛山 1,111.89m、水越峠を挟んで右に大和葛城山 958.55m。
つづく。
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3月12日(火)06:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳23 |
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| 道標をチェックしながら登る。
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| 倒木ならぬ倒竹(とうちく)が見られる。 典型的な“放置竹林”となっている。
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| 標高が高くなると、竹は見られなくなる。
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| ここまで来ると山頂まであと少し。 この先、急坂で道なりに左にカーブ。 登りきると山頂付近に出る。
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| 山頂に立つ石造物。 「牛頭天王・・」と刻まれている。
牛頭天王(ごずてんのう)は日本における神仏習合の神。 釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。
つづく。
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3月12日(火)06:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳22 |
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| 進行方向の右下に建造物と、大規模なソーラーパネルが設置されている。 尚、フェンスが張られているので進入は出来ない。
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| フェンスは暫く続く。 付近は竹が蔓延り、元来、生えていた樹木は駆逐されていると思われる。
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| 途中、分岐などはなく、迷うことはないが、道標があれば安心して歩ける。
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| この辺り、傾斜がやや緩やか。
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| 踏み跡は明確に続く。
つづく。
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3月12日(火)06:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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沼山古墳_益田岩船_牽牛子塚古墳_乾城古墳21 |
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| 乾城(カンジョ)古墳の国指定史跡の名称は「与楽カンジョ古墳」となっている。 与楽(ようらく)は大字。
下記は現地の説明文。
大字与楽にある与楽カンジョ古墳は一辺 36m墳丘の南裾から高さ 11mの方墳である。 墳丘南面に石室玄室は長さ 6m幅 3.8m高さ 5.3mを測る。 大型の閃緑岩(せんりょくがん)を 5段積んだ石室を構築した両袖式で、羨道の長さ約 5.3m玄門の幅 1.5mを測り、羨道の先端は拡がっている。 玄室内に漆喰をペースト状に固めた棺台がある。 石室内から金銅製耳環(じかん)・銀製指輪、不明鉄製品、砥石(といし)・須恵器・土師器(はじき)等が出土した。 カンジョ古墳は玄室の平面規模に比べ天井までが高いドーム型の石室で、高さでは奈良県で一番である。 古墳の築造は 7世紀前半と考えられる。 また、羨道閉塞石の下から 8世紀初頭の須恵器杯が出土した。 カンジョ古墳を含め与楽古墳群は石室形態や出土遺物から渡来系氏族東漢氏(やまとのあやうじ)と考えられている。 高取町教育委員会
【参考】 東漢氏
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| 乾城古墳から貝吹山付近を眺める。 おそらく、肩によって遮られ、山頂付近は見えていないと思われる。
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| 先程の祠があった手前まで戻り、貝吹山を目指す。 画像の獣避け電線を跨ぐ。
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| 貝吹山城跡を示す道標。
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| 茂みの中に入る。
つづく。
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3月11日(月)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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