山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年2月を表示

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)12

「舞香」と看板が掛かったお店。
“変身処”となっているが、舞妓体験が出来るお店なのだろう。



舞妓さんの人形の下に大きく「MAICA」。その上に小さく「MAIKO COSTUME RENTAL STUDIO」。

舞香



所謂「お茶屋」。


モダンな燈籠が現れる。正面に「宮川町」。側面に「宮川町歴史的景観保全修景地区」と記されていた。“修景”とは聞き慣れない言葉。


左右にお茶屋を見ながら宮川町通を南へ歩く。


2月20日(土)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)11

本殿を右に見て裏門の方へ歩く。


本殿横の壁板「たたき板」。その下にも賽銭箱が。


ゑびすさんはお年寄りの神様なので、ちょっと耳が遠くなり本殿前の鈴を鳴らすだけでは気が付かない。そこで、本殿の奥の神様が居るすぐ横の壁をドンドンと叩いて「お詣りに来ました」とお知らせする。案内書きでは、「優しくトントンと叩いてください」(ゑびす様のお肩をたたくお詣りです ノックをされるように優しくお願いします)とのこと。


裏門から出ると正面に旅館のような建物が見えた。この建物は「宮川町お茶屋組合」で、宮川町歌舞練場となっていた。


大和大路通から外れて、ゑびす神社の一つ西の通りとなる宮川町通を歩く。


2月20日(土)20:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)10

建仁寺を左に見送るとすぐ右手にゑびす(恵美須)神社の社標が現れる。
京都の神社仏閣のサイトによると、西宮神社・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれている。起源は1202年(建仁2年)、禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てたもの。



左脇に鯛を抱えているが、右手に持つ釣り竿は確認出来ず。失せてしまったようだ。


二の鳥居に取り付けられていたゑびすさんの福箕と福熊手。


福箕と福熊手に賽銭を投げ入れるようになっていた。


本殿。


2月20日(土)20:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)9

付近の住宅地図。住所は京都市東山区亀井町だが、京都市東山区大和大路通四条下る二丁目亀井町とも表示される。


「きんなべ」。“な”は変体仮名。
どうせなら、右から左に書いた方が本物っぽい。「べなんき」というふうに―笑。



旧家。武藤医院の看板が掛かっていた。左隣に医院のビルがあるのでご自宅なのだろう。


「東山観光といれ」。


建仁寺。今回は境内には入らず通過した。


2月19日(金)20:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)8

赤穂浪士や水戸黄門御一行様とは、笑ってしまう―笑。


これは「魔除けの唐辛子」と呼ばれるもので、持つ人の年の数だけ唐辛子を編み込んで、魔除け、厄除けとして家の玄関や室内の壁に吊るしておくと良いらしい。


虫籠窓のあるお店。


履物の店。
ない藤履物店で明治時代から続く老舗履物匠。



ばったん床几。別名バッタリ床几とも。


2月19日(金)20:14 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)7

白川の流れ。水量は少ない。大和大路通に戻って南へ歩く。


左手に「うどん博物館」の看板が掛かっていたが、よく見ると「テナント募集中」になっていた。破産したらしい。
続いてゴチャゴチヤしたお店が現れた。「壹銭洋食」の看板が掛かっているが、逆さまに取り付けてある。



この人、マネキン。「愛國婦人会」の襷を掛けている。


こちらのマネキンも面白い。お店の中へどうぞ、と手招きしている―笑。そしてまたも「愛國婦人会」。
よく見ると「区内町御用達」の看板も。
後で調べたら、このお店はお好み焼き屋だった。



ワンちゃんがお店で買ったお好み焼きを狙っているという設定。男の子の両手の形が不自然で、どこかにあった人形を流用しているのだろう。この見世物の為に制作したとは思えない。


2月19日(金)20:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

新しく自転車を購入

2016年2月18日に新しく自転車を購入した。

以前乗っていた自転車は、少し前に転倒し、それ以後、後輪ブレーキの調子が悪かったが、転倒によって後輪が曲がっていることがわかった。

後輪の取替えをサイクルショップで見積もってもらったところ、新しく購入する方がメリットがあるので買い換えることにした。

前に乗っていた自転車はダイキの天理店で2006年7月に購入した。
修理の見積もりは、ダイキの富雄南店でしてもらったので、購入はこの店となった。

購入したのは、サギオカのクロスバイクで、アメリカンイーグル AE/CRB7018STD WH。

前に乗っていた自転車とよく似たデザインで気に入った。18段変速。



2月19日(金)20:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)6

「祇園白川 十六夜桜」と記された自然石の石碑。
「十六夜桜」(イザヨイザクラ)はヤマザクラの園芸品種の名前らしい。



これがその「十六夜桜」の古木。


こちらは白梅。チラホラ咲いている。


そしてその名も「白梅」。料理旅館。


白川に架かる大和橋を渡る。


2月18日(木)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)5

辰巳大明神
京都御所より辰巳の方向(南東)にあることからそう呼ばれ、もともとは辰巳の方角を守る神社だったが、祇園の人々の信仰が厚く、特に芸舞妓さんが芸事の上達を祈ってお参りするようになった。



白川に架かる巽橋。
「日本の遺産」によると、辰巳神社の御祭神は狸で、すぐ横の巽橋に住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていたそう。困った祇園の人々が、この狸を祀る祠(ほこら)を立てたところいたずらが収まったと伝わる。



かにかくにの歌碑。
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」。



「かにかくに碑」の駒札。

かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 
   枕のしたを 水のながるる
 この歌は、祇園をこよなく愛した歌人として知られる吉井勇(一八八六-一九六〇)が明治四十三年(一九一〇)に詠んだ一首で、彼の歌集「酒ほがひ」に収められている。
 当時は白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はその情景を詠んでいる。しかし、第二次世界大戦下の昭和二十年(一九四五)三月、空爆の疎開対策に白川北側の家々は強制撤去され、歌碑が建っているこの地にあった茶屋「大友(だいとも)」も犠牲になった。大友は当時の文人、画人たちと幅広く交流のあった磯田多佳(たか)の茶屋である。
 昭和三十年十一月八日、友人たちにより吉井勇の古稀(七十歳)の祝いとして、ここに歌碑が建立された。発起人には、四世井上八千代、大谷竹次郎、大佛次郎、久保田万太郎、里見敦、志賀直哉、新村出、杉浦治郎右衛門、高橋誠一郎、高山義三、谷崎潤一郎、堂本印衆、中島勝蔵、西山翠嶂、湯川秀樹、和田三造などそうそうたるメンバーが顔をつらねた。
 以来、毎年十一月八日には吉井勇を偲んで、「かにかくに祭」が祇園甲部の行事として行われている。
       京都市


※かにかくに=あれこれと



ドライフラワーになったアジサイ―笑。


2月18日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)4

白碗竹快樓の看板が掛かっている。“ばいわんじゅうかいろう”と読む。
ふかひれが自慢の中国料理の店らしいが外見からは想像出来ない。



お地蔵さんを祀ったと見られる祠。石の香炉には「町内安全」と彫られていた。


水打ちをする女性。


「祇園新橋」の駒札。

祇園新橋
 伝統的建造物群特別保存地区

この通りは伝統的な祇園の情緒を今に残す一画として紅がら格子の町なみが保存されています。夜にはあでやかな舞妓の姿も見られ柳と桜の白川畔には、祇園は恋し…とうたった吉井勇の歌碑があります。


祇園新橋伝統的建造物群保存地区



暖簾に「dedegumo」と画かれていた。


2月18日(木)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)3

更に「鉄斎堂」「水谷集光堂」「今昔西村」と名前を見ても、何の店なのかまったくわからない。


京都によく見られる路地。


「古美術 やかた」


四面に仏を彫ってあり、石塔などの初層塔身部に見える。これは“売り物”なのだろうか。


大和大路通を左折し新橋通へ入る。


2月17日(水)18:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)2

キク嘉老舗(菊嘉商店)のHPによると、天保元年(1830年)現在の京都市上京区椹木町で創業。文久七年、当時東海道五十三次の帰着点であった三条大橋東側の繩手通に移転しその後、京阪電鉄の三条駅の建設のため、現在の場所に店舗を移しました。当主は代々「菊屋嘉介」を襲名し、「菊嘉」の屋号はこの当主の名前に由来し、現在の当主は六代目です。三条大橋周辺の旅館、料亭や近くに祇園(ぎおん)や先斗町(ぽんとちょう)の花街がある環境の中、常に味と技術にこだわり、ご愛顧頂いております。

今年で創業186年という老舗。



その後も老舗が軒を連ねている。
「古代裂 ちんぎれや」とあるが、一体、何のことかさっぱりわからない。



ショーウインドーを覗くと、何やら雑貨のような小物が置いてあった。後で調べると「ちんぎれや」は漢字では「珍裂屋」と書き、“珍しい裂(きれ)屋”という意味。


お隣は「片岡象牙店」
ネット検索すると、1887(明治20)年創業の茶入蓋専門店。今では稀少となった象牙のみを材料とし、各流祖の好みの蓋から数奇者の好み蓋などを手がけている、茶道会では非常によく知られた老舗。



「お茶漬鰻」お茶漬と鰻がどういう関係なのか。不思議に思ったが、どうやら鰻をお茶漬で食べるらしい。
「お茶漬鰻 かね正」
どの店も特徴ある商品ばかり取り揃えている。一般的ではないことは確か。



2月17日(水)18:49 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)1

2016年2月11日(祝・木)は、京の古道シリーズ第5回目として、伏見街道を京阪三条駅から京阪観月橋駅まで歩いた。尚、この日歩いたコースの中で、伏見街道は五条橋から豊後橋(観月橋)までの区間を云う。
参加者は主催のN氏とT氏、M氏、更に今回はK氏が加わったので5人。

コース・タイム
9:52京阪三条駅10:09_10:12キク嘉老舗(創業天保元年)前_10:17白碗竹快樓前_10:18祇園新橋(駒札)_10:19辰己大明神_10:19巽橋_10:20かにかくに碑(駒札)_10:22大和橋_10:25壹錢洋食前_10:28ない藤履物店前_10:29ばったん床几_10:30東山観光といれ_10:31建仁寺前_10:34ゑびす(恵美須)神社10:37_10:37宮川町お茶屋組合前_10:39舞香(舞妓体験)前_10:40燈籠(宮川町)_10:46愛宕念仏寺元地(石碑)_10:46西福寺_10:48六道之辻(道標)_10:49六波羅蜜寺10:55_10:58五建ういろ_11:02音羽屋前_11:02竹屋前_11:05大佛殿石垣(石碑)_11:06方広寺_11:06「国家安康」の銘のある梵鐘_11:10方広寺大仏殿跡・休憩11:20_11:24豊国神社_11:24唐門_11:27耳塚_11:32京都国立博物館前_11:37蓮華王院本堂(三十三間堂)前_11:39養源院_11:41法住寺前_11:43蓮華王院南大門_11:49東海道本線に架かる陸橋を渡る_11:51大谷中高等学校西門前_11:51京都市立東山泉小中学校(旧一橋小学校)前_11:52伏水街道第一橋復元(東山泉小中学校運動場)_11:56瀧尾神社12:00_12:01喫茶リトルドラゴン・昼食12:38_12:39東福寺駅前_12:41伏水街道第二橋_12:42鶴屋弦月前_12:43東福寺北大門_12:44退耕庵前_12:45霊源院_12:47栗棘庵前_12:48明暗寺前_12:48同聚院_12:51一華院前_12:51京都市立月輪小学校前_12:51卧雲橋_12:52日下門_12:55経蔵前_12:58東福寺・本殿(仏殿)前_12:58三門_13:05南明禅院前_13:06道標(京阪鳥羽街道駅分岐)_13:10伏見妙見寺前_13:15伏見稲荷参道_13:17JR稲荷駅前_13:18伏見稲荷大社前_13:18ランプ小屋(旧東海道本線遺構)_13:20摂取院・腹帯(ふくたい)地蔵尊_13:25ぬりこべ地蔵_13:28石峯寺13:31_13:35宝塔寺_13:39仁王門_13:40太鼓楼_13:42多宝塔_13:43伏見桃山城遠望地_13:50霊光寺前_13:51瑞光寺前_13:55京都トレイル東山F27(道標)_13:57嘉祥寺(深草聖天)前_13:59深草北陵(十二帝陵)_14:01JR奈良線の踏切を横断_14:02地福寺前_14:05名神高速高架下を潜る_14:08伊達町(交差点)_14:26京都教育大前_14:28藤森神社・休憩14:54_14:59京阪本線の踏切を横断_14:59鴨川運河(琵琶湖疎水)に架かる墨染橋を渡る_15:01墨染寺15:04_15:06欣浄寺(伏見の大仏)15:11_15:14撞木町廊入口(石標)_15:17R24を横断_15:21本浄寺前_15:27京都市呉竹文化センター前_15:36大手筋通を横断_15:38京料理魚三楼前_15:43東儀画塾前_15:46近鉄京都線の高架下を潜る_15:46寿湯(銭湯)前_15:47大福餅和田商店前_15:48平戸橋_15:51京阪観月橋駅前_15:52明治天皇御駐輦所観月橋(石碑)_15:52淀川維持區域標_16:04常盤就捕処(石碑)_16:06桃陵団地の歴史(案内板)_16:06伏見奉行所跡(石碑)_16:10伏見桃山商店街(高架下)_16:14近鉄京都線桃山御陵前駅

画像はこの日歩いたGPSログを表示している。京阪三条駅から京阪観月橋駅を経て近鉄桃山御陵前駅まで。

下記は参考とした書籍及びWebサイト
増田 潔『京の古道を歩く』光村推古書院 2006年。
街道歩き旅「奈良街道を歩く1」



朝の蛙股池。8時20分頃撮影。この日は一日好天に恵まれ気温もグングンと上昇。
上着を脱いで歩いた。



集合時間は京阪三条駅10時だったが早く到着した。画像は高山彦九郎の皇居望拝之像。


像を建立した謂れについて記されている。尊皇思想家。
高山彦九郎



三条駅から南へ向かう。若松通を横断し大和大路通(繩手通)を歩く。すぐ左手に「キク嘉老舗」の看板が掛かった店が現れる。


2月17日(水)18:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)45

常夜灯の竿には「太神宮」、土台石には(右から)「村中安全」。竿の側面には「明治五紀 壬申 四月…」と彫られていた。
明治時代に建立されたものだが、スマートで古めかしさを感じない。笠の先の尖った部分がかっこいい。



東光橋を左に見て歩くと愛宕地蔵菩薩と書かれたお堂が現れる。残念ながら鍵が掛かっており、中は見られなかった。


「舊跡 櫻井魚市場」と彫られた石碑が立っていた。
魚市場跡



この先、三叉路となる。桜井駅は左へ。
郵便ポストの前に、石碑らしきものが立ってる。



石碑に見えたのは「櫻井町道路元標」。この先、中央通商店街を歩いて桜井駅に到着した。おしまい。


2月16日(火)18:56 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

酒蔵みてある記(桜井_談山)44

そして談山神社多武峯町石。


談山神社多武峯町石(県指定史跡)

 談山神社の一ノ鳥居から、摩尼輪(まにりん)塔までの約五・五六kmの間に、参道に沿って五十二基の町石が建てられていた。町石の形式は板碑型で、町石の高さ約一五〇cm、幅三三cmである。江戸初期承応(じょうおう)三年(1654)十月十六日に、法眼が施主となって造立した。五十二基の町石は、因位(まよい)から仏界(さとり)に至る仏道修行をあらわし、十信、十住、十行、十回向までは、凡夫、十地は聖者の菩薩行、等覚(仏に等しいさとり)、妙覚(迷を減尽した仏界)とに分けられている。

  桜井市教育委員会


説明板の距離が間違っていたので画像で修正した。
正)摩尼輪(まにりん)塔までの約五・五六kmの間に…



寺川の流れに沿って下る。


歩いている道は多武峯街道。この辻で等弥神社方向を右(東)に見送る。


対岸(左岸)に形のよい常夜燈が見えたので、河西中の橋を渡って西へ。


2月16日(火)18:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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