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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2016年2月18日を表示

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)6

「祇園白川 十六夜桜」と記された自然石の石碑。
「十六夜桜」(イザヨイザクラ)はヤマザクラの園芸品種の名前らしい。



これがその「十六夜桜」の古木。


こちらは白梅。チラホラ咲いている。


そしてその名も「白梅」。料理旅館。


白川に架かる大和橋を渡る。


2月18日(木)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)5

辰巳大明神
京都御所より辰巳の方向(南東)にあることからそう呼ばれ、もともとは辰巳の方角を守る神社だったが、祇園の人々の信仰が厚く、特に芸舞妓さんが芸事の上達を祈ってお参りするようになった。



白川に架かる巽橋。
「日本の遺産」によると、辰巳神社の御祭神は狸で、すぐ横の巽橋に住んでいた狸が、橋を渡る人を化かしては白川の中を歩かせていたそう。困った祇園の人々が、この狸を祀る祠(ほこら)を立てたところいたずらが収まったと伝わる。



かにかくにの歌碑。
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のながるる」。



「かにかくに碑」の駒札。

かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 
   枕のしたを 水のながるる
 この歌は、祇園をこよなく愛した歌人として知られる吉井勇(一八八六-一九六〇)が明治四十三年(一九一〇)に詠んだ一首で、彼の歌集「酒ほがひ」に収められている。
 当時は白川の両岸に茶屋が建ち並び、建物の奥の一間は川の上に少々突き出ており、「枕のしたを 水のながるる」はその情景を詠んでいる。しかし、第二次世界大戦下の昭和二十年(一九四五)三月、空爆の疎開対策に白川北側の家々は強制撤去され、歌碑が建っているこの地にあった茶屋「大友(だいとも)」も犠牲になった。大友は当時の文人、画人たちと幅広く交流のあった磯田多佳(たか)の茶屋である。
 昭和三十年十一月八日、友人たちにより吉井勇の古稀(七十歳)の祝いとして、ここに歌碑が建立された。発起人には、四世井上八千代、大谷竹次郎、大佛次郎、久保田万太郎、里見敦、志賀直哉、新村出、杉浦治郎右衛門、高橋誠一郎、高山義三、谷崎潤一郎、堂本印衆、中島勝蔵、西山翠嶂、湯川秀樹、和田三造などそうそうたるメンバーが顔をつらねた。
 以来、毎年十一月八日には吉井勇を偲んで、「かにかくに祭」が祇園甲部の行事として行われている。
       京都市


※かにかくに=あれこれと



ドライフラワーになったアジサイ―笑。


2月18日(木)20:31 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)4

白碗竹快樓の看板が掛かっている。“ばいわんじゅうかいろう”と読む。
ふかひれが自慢の中国料理の店らしいが外見からは想像出来ない。



お地蔵さんを祀ったと見られる祠。石の香炉には「町内安全」と彫られていた。


水打ちをする女性。


「祇園新橋」の駒札。

祇園新橋
 伝統的建造物群特別保存地区

この通りは伝統的な祇園の情緒を今に残す一画として紅がら格子の町なみが保存されています。夜にはあでやかな舞妓の姿も見られ柳と桜の白川畔には、祇園は恋し…とうたった吉井勇の歌碑があります。


祇園新橋伝統的建造物群保存地区



暖簾に「dedegumo」と画かれていた。


2月18日(木)20:30 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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