京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)14 |
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| 「菱六もやし」の向かいが西福寺(さいふくじ)。浄土宗のお寺で本尊は阿弥陀如来坐像。開基は蓮性和尚。
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| 「洛陽四十八願所第三拾壱番札所」の石標が立っていた。左上の提灯は上の字が切れているが「子育地蔵尊」。
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| 奉納された絵馬など。
檀林皇后と弘法大師 (六はら地蔵尊由来記)
人王五十二代嵯峨天皇(八〇九-八二二)の御代、弘法大師(七七四-八三五)当地に地蔵尊を建立し御自作の土仏の地蔵尊を安置せられる。ここは鳥辺野の無常所の入口にあたり、世に「六道の辻」と謂います。昔は六ッの仏堂がありましたが、現在は三仏堂が残っており、毎年八月のお盆には庶民の伝統行事「お精霊迎え」の六道詣りが幾百年も続けて行われています。 弘法大師六道の辻地蔵堂開基の頃、嵯峨天皇(八〇九-八二二)の皇后になられた橘嘉智子姫(檀林皇后)がしばしば御参詣になられて、弘法大師に厚く御帰依あそばされ深く仏教をきわめられしとの事。亦弘仁五年(八一四)皇子正良親王御病いの時、当地蔵尊に御平癒御祈願をされ、無事御成長なされて、後に目出度く五十四代仁明天皇(八三三-八五〇)の御位におつきあそばされたので、世の人々は六道の辻地蔵尊を子育地蔵或は六はら地蔵などと呼ぶようになりました。
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| 本尊の阿弥陀如来坐像。扁額には(右から)「法王殿」と記されている。 尚、このお寺には平安時代の檀林皇后を描いたといわれる江戸時代初期の「九想図絵」があり、風葬された死屍の変容が生々しく描かれている。
注)下記サイトは、九相図や地獄絵図など死者の姿の絵があり、現代のか弱い常識の持ち主の方では不適当とされるものがあります。そのような方は見ないようにお願い致します。『京都怖いとこめぐり 2015 西福寺の九相図と地獄絵図をついに見る。』
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| 石碑「六道之辻」。右の住所表示は「東山区松原通大和大路東入轆轤(ろくろ)町」となっていた。
この辺りは六道の辻(ろくどうのつじ)と呼ばれる。六道というのは仏教用語で、人間は天界・人界・畜生・修羅・餓鬼・地獄の六つの世界を生まれ変わる存在であるという考えで、ここはその辻、すなわち、あの世とこの世の境目にあたるところ。
Discover Kyoto ディスカバー京都 六波羅探索
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Feb.21(Sun)22:25 | Trackback(0) | Comment(3) | ウォーキング・散策 | Admin
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京の古道⑤伏見街道(三条_観月橋)13 |
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| このお茶屋、玄関の上の屋根に何やら置かれているが、「鍾馗(しょうき)さん」と呼ばれる魔除けの置物。
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| 軒先に吊るされた提灯。宮川町のお茶屋さんの提灯で「三つ輪」紋様。
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| やがて左折して松原通を東へ歩く。 左に路地が見えたので立ち寄ったが、こんな狭い路地にもお茶屋が軒を連ねている。
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| この先、「建松商店街」の看板が掛かってる左右の通りが大和大路通。大和大路通を横断し更に東へと歩く。
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| 左に「愛宕念仏寺元地」の石碑を見て歩くと、「菱六もやし」の看板が掛かった店が現れた。 後でわかったが、もやしとは、業界用語で種麹(たねこうじ)屋を云うらしい。
菱六もやし
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Feb.21(Sun)22:21 | Trackback(0) | Comment(0) | ウォーキング・散策 | Admin
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