山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年5月を表示

庄兵ヱ道を歩く4

ここが「庄兵ヱ道」の取り付きだが、昔からそうなのか、どうかわからない。画像は右から、ご一緒した平群町在住の某氏、T氏、左端がM氏。ご覧の通り、取り付きの下草は刈り取られている。


T氏によると、棚田を造る過程で、「庄兵ヱ道」は、畦道に沿うように付け替えられたのではないか、という話だった。取り付き付近は藪笹に覆われているが、登山道は藪笹が刈り込まれており、一応、山道ということで、“道なき道”ではなかった。地元の方々が、手入れされていると思うが、当日、田んぼで作業をされており、出来ることなら、何か情報を収集したかったと、今になって思う。登山道は九十九折に続いており、かつてあった田んぼの畦道に沿って続いているのかもしれない。


やがて、登山道は支尾根に向かって直登するようになる。踏み跡は、比較的わかりやすく、所々目印の赤テープが付けてあった。「庄兵ヱ道」の取り付きから、約20分で、生駒市と平群町の境とみられる支尾根に辿りついた。講社が設置した道標があり、支尾根に沿って東西にも踏み跡があった。ここで、ご一緒した平群町在住の男性は、「ぼくらの広場」方向(西)に向かわれることになる。尚、東方向の踏み跡を辿ると、生駒市小平尾町(こびらおちょう)へ通じているらしい。


講社が設置した道標をいくつか見て歩く。画像は先行するM氏とT氏。所々赤テープが付けられている。


やがて、分岐が現れるが、T氏によると、この先、講社が設置した道標が設置されているのは、左の道(西)で、この道を暫く歩き、その道標のところで、先程の分岐で見た右の道を歩くという。しかし、分岐地点には戻らず、串刺しするようにダイレクトに、右の道に向かって道なき道を歩く。すると前方に溜池(藤尾池)が見え、ここで昼食の予定だった。しかし、暗く陰気なので、私が異議を申し立て、もう少し先の、暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)に出たところに変更していただいた。尚、藤尾池の周辺は倒木等で荒れており、手入れがされていないようだった。画像は藤尾池。


5月9日(木)22:10 | トラックバック(0) | コメント(2) | 山歩き | 管理

庄兵ヱ道を歩く3

清滝石仏群にて小休止となった。水分を補給する。この日、私は、野菜ジュース500ml(メイン) 熱いお茶500ml(昼食時) 氷水500ml(暑い時の予備) アセロラ500ml(予備) で合計2L持参したが、1/3くらい残した。清滝石仏群の中には、先ほどの「鳴川八尺地蔵磨崖仏」の隣に「貝吹地蔵磨崖仏」と呼ばれている磨崖仏があり、橋を渡ると「鳴川五尊磨崖仏」が現れる。ズームで撮影しており、ややピンボケとなった。


更に、舗装道路に出ると大きくて立派な「ゆるぎ地蔵」が鎮座されていた。“祈れば病気が揺るぐ”というお地蔵さんらしい。画像は「ゆるぎ地蔵」の後にあった五輪塔。


道なりに狭い車道を歩くと千光寺の行場(鳴川峠)分岐を経て、山門が見えた。ここでも暫く休憩となった。写経堂(休憩所)の前に単独行の男性が座っておられ情報交換した。聞けば平群町在住で、この当りを徘徊されているらしい。T氏が「庄兵ヱ道」について、お話すると、興味をもたれ、一緒に歩くこととなった。こちらは千光寺前の道標。「右 生駒山 宝山寺 道 一里 十丁」一里十丁=約4.5kmということか。実際にはもっと距離があるとT氏が語った。


千光寺から鳴川峠へは、ハイキングコースとなっているが、宝山寺方向へは、歩いたこともないし、聞いたことすらない。これから歩く「庄兵ヱ道」は、一体、どんな道なのか、単独行なら、期待と不安が交錯するところだが、今日はT氏の後に続けばよいわけで、まぁ、安直というか、“出来合い”の安心感はある。画像は鳴川峠を経て、瓢箪山稲荷神社を示している。


暫く歩くと、講社が設置したとされる道標があり、これが幾つか続く。やがて、棚田の畦道を歩くが、突然、山の中へ入る。


5月9日(木)22:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

庄兵ヱ道を歩く2

いきなり石仏が現れる。T氏によると、画像右端の石仏が古いそうだ。


右の石仏は四国八十八ケ所巡りの石仏のように見えるが定かではない。


やがて、細い流れとなった櫟原川を渡渉する。植林の中の暗い山道を歩き、前方に車道の橋を仰ぎ見る。クルマでR168方面から千光寺に向かう時は、この橋を渡る。画像左下を歩いているのが先行する二人。私は周りをキョロキョロしながら歩くので、どうしても遅れてしまう。


画像のような道が、自然歩道だろう。東海自然歩道は舗装されたところが多くなり、魅力は半減した。


やがて右下に何軒かの家屋を見て歩くと、山道の左右に、しいたけ栽培された木を見て、清滝石仏群に到着した。ここは平群町指定文化財となっている。T氏によると、石仏に苔が生え、輪郭が分かりにくくなっているという。


5月8日(水)23:16 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

庄兵ヱ道を歩く1

2013年5月6日(月)は、いつもお世話になっている生駒市在住のT氏の計らいで、彼が過去に探索した生駒山に残る古道“庄兵ヱ道”を案内していただいた。参加したのは私と奈良市在住のM氏で3人で歩くことに。H氏は時節柄、仕事が忙しく参加を見送られた。“庄兵ヱ道”は、平群町鳴川の千光寺を起点(終点)に、生駒市藤尾町、鬼取町、小倉寺町、菜畑町を経て門前町の宝山寺に至る古道である。実際に歩いてみた感想としては、信仰上の参詣道、あるいは生活道としての色合いが濃いと思った。例えば、江戸時代の女性が、杖を持って旅をするのに歩かれたような道ではないと思う。基本的にはトラバース道で、支尾根に向かって直登するようなところもあり、このようなところでは、女性の旅姿は想像できない。講社が立てたという道標が残っており、修験者が霊山への登山を勧めて、それにならって各地の神社・寺院へ参拝するために、講社によって作られた巡礼道、参詣道だと推察する。また、“庄兵ヱ”と呼ばれる個人名が付いた所以も、宝山寺と深い関係があると聞く。私にとって10連休の最後日となったこの日は、思い出深い生駒山での一日となった。

【コースタイム】
9:21近鉄生駒線元山上口駅-9:37生駒山口神社-9:48石仏-10:08清滝石仏群-10:14ゆるぎ地蔵-10:19千光寺行場分岐-10:22千光寺10:34-10:38庄兵ヱ道取付き-10:56生駒市と平群町の境(推定)-11:22道標-11:28藤尾池-11:35展望地-11:52生駒市中央公民館南別館前(昼食)12:35-藤尾町石造阿弥陀如来立像-12:43暗峠分岐-12:47ラッキーガーデン前-カンジョウの森(小倉寺町)-13:07教弘寺(きょうこうじ)13:23-13:28ヤスンバ(推定)-13:40民家の前-13:59円応教前-14:05宝山寺14:30-14:37旧正面参道-14:41旧菜畑参道分岐-14:45旧正面参道分岐-14:57新参道分岐-15:04近鉄生駒駅-15:06味楽座生駒店(反省会)

いつもの菖蒲池駅に続く歩道を歩く。ツツジはピークを過ぎていた。



近鉄生駒線元山上口駅に降り立ったのは9時21分で、定刻より2分遅れ、菖蒲池駅から34分かかった。元山上駅は無人駅で、まずはここから千光寺へと歩く。


千光寺にはクルマで何度か行ったことはあるが、駅から歩くのはこれが初めて。駅前から道標が完備されており、ハイキングコースとなっている。初めて歩く道なので、あたりをキョロキョロしながら注意深く歩く。なので、先行する二人からは遅れがちとなる。まずは近鉄線の踏み切りを横断するが、その前に大きな石標を見る。


車道の脇を歩くが、クルマの通行は少ない。緑ヶ丘ショッピングセンターの前に出たが、まだ開店していないようだ。櫟原川(いちはらがわ)の左岸に沿って歩く。暫くすると山口神社に到着。画像はハイカー。今回は参拝をパスし先を急ぐ。山口神社の前、櫟原川に架かる橋を渡ったところに首なし地蔵があった。


緩やかな登り道となり、右手に開発された住宅地が広がる。山の斜面に沿って歩いており、左側は山、右側には田畑が広がっていた。


5月8日(水)23:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

自転車通勤九日目2

こちらは、天皇陵全体を写そうとしたが、入りきれなかった。


しばらく車道を走る。通勤、通学の人の姿が目立つ。この先、車道は右に曲がっているが、前にも道がある。「この先 幅員狭し 対向不可」の標識が見えたが、自転車なら問題ないはず。そのまま走る。この道は、垂仁天皇陵と唐招提寺を結ぶ“歴史の道”なのだ。普通だったら、一方通行とか、片方通行の時間制限がありそうだが、交通量が少なく、トラブルが発生しないのだろう。


道路の突き当たりは三叉路になっていて、左折(東へ)する。近鉄線の線路を横断したら、左に見覚えがある唐招提寺の門が見えた。自転車から降りて門を撮影。


更に東へ走ると、秋篠川に架かる橋を渡っていつもの自転車道に出た。渡った橋は下極楽橋だった。会社にはいつも通り約50分で到着した。


5月8日(水)22:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

自転車通勤九日目1

今日も快晴。昨夜の天気予報では、今朝の予想気温は4度とのことだったが、自宅の室内気温は6時過ぎ現在15度だった。7時過ぎに自宅を自転車で出る。風が冷たいので、家内に山用のタオルを首に巻いてもらう。風を避けてタオルを首に巻くやり方があるらしい。確かに風避けになったし、顎を引いても、タオルを結んだコブが顎につっかえない優れものだった。あんたはエライ!自宅は標高105mだ。何故、そんなことを知っているのかと云えば、山行の時、高度計の標高をセットする必要がある。気圧によって高度を計測(推測)する機械なので、毎回、セットする必要がある。気圧は時間と共に変化する。例えば、低気圧が接近していたら、同じ場所であっても気圧は大きく下がる。より正確にセットするには、自宅ではなく、登山口でセットし、目当ての山頂で再びセットする。だが、山頂の標高は分かっていても、登山口の標高がわからない場合が多い。それに、そんなにシビアなものでもないので、いつも山行に出る時は、自宅でセットする。その合わせる標高が毎回105mということだ。なので、自宅の標高は覚えているというわけ。話が脱線した。云いたかったのは、標高が105mと高いので、自宅から自転車で出ると、ほとんどペダルを漕ぐことがなく、ブレーキ操作だけで済むいうこと。旧R308に出合う信号機のある三叉路に出た。正面に垂仁天皇陵(すいにんてんのうりょう)が見える。今日はいつもと違って、垂仁天皇陵のお堀に沿った道を走って唐招提寺へ行ってみようと思う。ハイキング気分だ。もとい、サイクリング気分だ。近鉄線で云えば、尼ヶ辻駅と西ノ京駅間の西側だ。以前、畑の中に「唐招提寺」の道標があった。ハイキングコースとして歩かれているハズだ。すぐに道標の前に来たが、人一人がやっと歩けるくらいの細い道で、しかも石畳となっている。これでは、自転車では止めた方がいいと思った。尼ヶ辻駅方向へ走ると、唐招提寺方向への車道があったので走ってみる。車道と垂仁天皇陵を挟んで、公園のような空き地があって、「避難地」 尼辻西町、と表示されていた。天皇陵の森に白い鳥の姿が見える。以前、新聞記事で読んだ糞害の鳥だろう。鳥の名前は知らない。


車道の右側に鳥居が見えたので、何か神様を祀ってあると思い、その場所へ行こうとしたが、ロープが張ってあって、つい入口を通り過ぎてしまう。その先に右に続く細い石畳の道があって、そこを行けば、先程見えた鳥居の場所へ通じると思って進入したが行けず、結局、前述の天皇陵のお堀に沿った道だったようだ。引き返そうとしたら、畑の中に男性が居たが、農作業をしている様子でもない。こちらの方を見ているようだったが、すぐに納得した。彼は鳥を観察しているのだろう。望遠鏡が設置されていた。


すると、今度は、来た方向から20才前半くらいに見える男性が釣竿を持って自転車に乗ってやってくる。私は自分の自転車を寄せて、彼に道を譲った。すれ違ってすぐ、彼は自転車から降りて、魚釣りの支度を始めた。私も退職後は、近くの野池で魚釣りをしたいと思う。しかし、平日の朝から魚釣りとは、いいご身分だと思った。尚、このお堀は魚釣り禁止なのかどうかは知らない。画像は石畳の小道。更に自転車を押して歩くと、前方に夫婦連れとみられるお二人が、歩道の脇の雑草を抜いておられた。お早うございます、と挨拶して車道に出る。それにしても、僅か50m程の狭い道に、バードウォッチャー、釣り人、ボランティアの掃除人と、よくも3人(正確には4人)も出くわしたものだ。感心した。


こちらは垂仁天皇陵の正面なのだろう。「垂仁天皇 菅原伏見東陵」と表記されていた。中へ入ろうとしたら、自転車乗り入れ禁止だったので、前を通り過ぎただけ。


5月8日(水)22:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

自転車通勤八日目2

秋篠川沿いのいつもの自転車道に戻る。すっかり新緑の季節となった。この時季、気をつけないといけないのが毛虫。特に桜の木の下を通る時は要注意だ。


この前、畑に石を置かれていたお家、石はすべて置かれたようだ。庭石というか、“畑石”ではないだろう。意図がよくわからない。


大和郡山市との市境近く、いつもここから近鉄電車が走るのがよく見える。電車が通れば撮影しょうと思っていたが、なかなか通らないので、仕方なく生駒山をズームで撮影した。


こちらは、大和郡山市特産、金魚の養殖池。水を抜いた状態。というか、いつも水が抜かれている。この池では金魚の養殖はもうされていないようだ。いつも通り約50分で会社に到着した。


5月7日(火)23:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

自転車通勤八日目1

連休明け初日(5/7)、予報によれば快晴だ。5時半に起床。早朝は薄曇だったが、やがて晴れてきた。7時丁度に自転車で自宅を出る。昨日、生駒山を歩いた時に使った手袋は洗濯するので、自転車のハンドルを握る手袋はない。早い話が山も自転車も兼用だ。新旧のR308が分かれる陸の三角州のようなところを左に見送り、いつもはここから秋篠川に沿って自転車道を南へ走るが、今日はもう少し先(東)へ走ってみる。以前、三角州のところに石仏を見たが、そこからすぐ東にも、別の石仏があると聞いた。家内も自転車で走っていた時、気付いたらしい。秋篠川から100m程で右側に立派なお堂が見えた。自転車から降りる。奈良市教育委員会が設置した案内板があった。奈良市指定文化財、「石造地蔵菩薩立像」と記されていた。鎌倉時代(文永二年 1265年)の刻銘があるらしい。(未確認)


歩道から扉を開けて囲いの中に自転車ごと入ってみる。歩道に自転車を放置すると通行の邪魔だ。それに盗まれるかもしれない。またイチイチ鍵を掛けるのが面倒だ。お堂の正面の扉は閉ざされていたが、右横からお堂の中に入れるようになっていた。有難い。


お地蔵さんとご対面。それにしても、今から748年も昔に作られたお地蔵さん。なんとも云いようがない。第一印象としては、全体の雰囲気が、奈良の大仏さんに似ていると思った。


斜め横からもパチリ。石の種類によるのか、黒光りしているように見えた。立派過ぎて、親しみが持てないというか、雲の上のお方のようだ。あまりにも装飾物が多いのではないか。この石仏を作られた人は、このようにお地蔵さんを祀ることを願われていたのだろうか。


5月7日(火)23:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | サイクリング | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く6

畑もあって、農業を営まれているのだろうか。ご自分の家で食べる野菜程度かな。


すぐ向かいでは建設工事中で、また何か新しい建物が建つのだろう。画像右の建物は奈良市立青和小学校の校舎。


少し北へ歩くと学園緑ヶ丘で住宅地となる。画像は住宅地から南方向を撮影した。眼下に畑がある。右の建物は、先ほどの青和小学校の校舎。


南へ歩くと、なんとこれが、学園前かという光景に出合ってうれしくなった。これは風呂の薪だろう。まさか“かまど”に使うということはないと思うが。


そして道なりに東へ歩くと、奈良女子大学付属小学校の前に出た。住所表示は百楽園1丁目だった。来た道を戻り、学園前駅の前を通って自宅に戻った。自宅近くの蛙股池で珍しいことに虹を見た。おしまい。


5月7日(火)23:25 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く5

一旦、自宅へ戻り用事を済ませてから、再び、午前中の続きをする。自宅を出発したのは16時で、夕食の時間、18時までの2時間、古地図を見ながら、新田付近を散策することにした。画像は例の陸橋のすぐ近くで撮影。「南無阿弥陀仏」と刻まれている。大正時代の刻銘があった。


午前中歩いたお地蔵さんのところまで早足で歩く。新田(学園新田町)は、お地蔵さんから北西の方向に位置するようだ。奈良女子大学付属幼稚園、小学校の前を歩く。実は新田の古い集落はこのすぐ近く(北西100mくらい)だったのだが、北へ歩いてしまう。理由は北西方向は、住所表示では奈良市百楽園となっていたから踏み込まなかった。事実、新田公民館は百楽園1丁目にあった。


祠があったので、覗いてみた。室町時代の七福神だった。画像の文章、最後の方が読めないが、次のように記されている。「・・・この七福神は今の大安寺の田の中より約30年前に出土され室町時代に彫られたものと鑑定されておる。 昭和三十七年 造 」


こちらがその七福神。


スーパーハッスルの前を歩く。この先の三叉路から北へ歩いたが、マンションやら、有料老人ホームみたいな建物ばかりで、古い集落などどこにもない。暫く歩くと、学園新田町街区公園があったが、周りは新しい建物ばかり。東方向へ歩くと鶴舞西町で、北は南登美ヶ丘だった。付近を周回して、再びスーパーハッスルへ戻ってきた。ここから西へ歩くと、やっと見つかりました昔ながらの建物が。すぐ近くまで、開発の波が押し寄せていて、アパートがあったりする。


5月7日(火)23:18 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く4

学園前駅の北側に出てきた。パラディ学園前北館の北あたり。果たして、この道が古道なのかどうか。この先、怪しい階段が見えた。上の方は樹木が生い茂っていて、鎮守の森みたい。


階段の登り口に、こんなものが。どうやら、この階段を登りきると、お地蔵さんがおられるようだ。階段を登る。きっと、お地蔵さんが・・・。


果たして、予感は的中した。しかし、この場所は、古地図ではどのあたりなのだろう。新田の集落に入っていないが、お地蔵さんの管理は新田地区の方がお世話されているようだ。


お地蔵さんとご対面。


こちらにも石仏が。ここは小高い丘のようになっていて、僅かな時間だったが下界の喧騒を忘れさせてくれた。登ってきた階段とは別の北へ下る道を歩いて、住宅地に降りた。この後、自宅へ歩いて帰るのだが、快適な散歩道がないか、探索してみることに。静かな住宅地の中を歩き、クルマが通らない道が望ましい。来た時に目星を付けていた陸橋を渡って、近鉄線の北側に沿った道を歩いてみたが、期待通りの道で、自宅から学園前駅に向かう時は、このルートを歩こうと思う。午後からの散策に続く。


5月6日(月)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く3

まずは北側を歩く。すると、すぐに大和キリスト教会があった。


この教会の北側あたりに池があるはずだ。池の名前は知らない。雑木の向こう側(北)が池ではないか。


やはりと言うか、当然だが。だが、ため池としての役割を終えているように見える。浚渫がされていない。沼のようになっている。


地図で確かめる。どうやら、間違いないようだ。ここから西へ行けば、目指す“新田”だ。少しワクワクする。尚、これから歩く道は、先ほどの配水塔を挟んで北側の道だが、昔は南側だったかもしれない。


住宅地図があったので、現在地を確認する。先程の池は蒼池(あおいけ)だった。


5月6日(月)21:38 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く2

陸の三角州、或いはデルタ(δέλτα)と呼ぶのか、元の分岐に戻った。おっと、いきなり生駒山だわ。


このあたり、あやめ池南一丁目だ。こっちはシュロの花。右左とキョロキョロするのに忙しい。ちなみに生駒山は左、シュロは右。シュロは耕作放棄地によく見られるが、これは庭木として植えられたもの。


先程の陸橋に到着、道路と近鉄線をダブルで跨ぐ。


なんか遊歩道らしき道があったので、下ってみる。


後で調べたが、奈良市水道局あやめ池配水塔だった。この配水塔を挟んで、北側から西へ(新田)と続く道と、南側からも道がある。どっちが古道か。等高線から読むと、南側がそれらしい。どちらも歩いてみる。(結果的には、この先、再開発され道が寸断されているので、どちらが古道かは不明)


5月6日(月)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

古地図を見ながら自宅周辺を歩く1

2013年5月1日(水) 晴 以前、生駒市在住のT氏から、菖蒲池周辺の古地図をメールで頂いた。明治40年頃と、大正11年頃だという。大正11年には近鉄奈良線が表示されているが、明治40年にはなし。疋田は伏見村となっている。この地図を参考にして歩いてみることにした。まず、目当ては、地図に表示されているいくつかある集落のうち、私にとって、馴染みのないところを訪ねてみることにする。ちなみに地図に表示されている集落は、東から、西大寺、芝、青野、野神、菅原、寶来(宝来)、疋田、以上は伏見村だろう。そして、蛙股池と菖蒲池から西は、新田、柚木谷だ。ここは大きい字で生駒と表示されている。生駒郡のことか。この中で、私に馴染みがないのは柚木谷と新田だ。その他は地名が何らかのかたちで残っていると思う。新田は学園新田町として地名が残っているが、どんなところかまったく知らない。蛙股池バス停付近から古い地図に表示されている道を歩く。まず、新田へ行こうと思う。バス停から菖蒲池駅方向ではなく、地図に記載されている蛙股池に沿った道を歩きたい。画像は蛙股池に沿った道を歩き、蛙股池を撮影した。


ご覧のように、古い地図(大正11年頃)には菖蒲池駅方向への道が記載されていない。この道は菖蒲池駅が出来てからの新しい道だ。ちなみに近鉄奈良線は表示されているが、菖蒲池駅はない。


すぐに分岐があって、蛙股池に沿った方の道を歩く、すると三叉路の車道に出てしまう。画像は三叉路に出る前。直進できないから、古地図の道ではないようだ。


三叉路に住宅地図があったので見る。北側の道が正解のようだ。先程の分岐へ引き返す。わざわざ引き返さなくてもそのまま北へ歩けば、同じところへ出るが、それはそれ。古い道を想像しながら、あるいは実感しながら歩くのが目当てなのだ。古い道を歩くことに価値があって、目的地へ早く着くことではない。


三叉路から北側の道を撮影した。この道は、高架の橋になっている。昔は、橋などなかっただろう。すぐ左に近鉄線が走っており、それを跨ぐ陸橋として造られ、道路も跨ぐことになったのだろう。


5月6日(月)07:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鶴橋の中古レコード店

2013年4月30日(火)、連休4日目は家族の所用で、クルマで天王寺区上本町に出かけたが、2時間程度、時間を潰すことになった。鶴橋が近いので、ブラブラと鶴橋卸売市場でも歩こうかと思ったが、小雨がぱらついていて、目当てがないのに、傘をさして歩くのも気が進まない。そこで、咄嗟に思いついたのが、中古レコード店、「鶴橋 中古レコード店」でネット検索したら出てきた。鶴橋本通にある店で、近鉄鶴橋駅からすぐ。3分くらいかな。画像は変なヤツ。天王寺区筆ケ崎町で撮影。


これが、鶴橋卸売市場のトレードマークだろう。


鶴橋本通の何処に中古レコード店があるのか、まったく、そのような気配なし。


ということで、通り過ぎてしまう。おかしいなぁ。もう一度、playback する。


ありました、ありました。ここだぁ~、スマイルレコード 鶴橋本通店、というか、「NISHIKAWA にこにこ屋」あんど、スマイルレコードなんだけど、気がつかないハズだ。中に入って、私の母親くらいの年代の女性とお話した。なんでも、化粧品屋をやっていたが、この歳なので、やめることにした。息子さんが、中古のレコード店を梅田でやっている。この店は、梅田店で、ダブった商品を置いたりしているという。倉庫代わりということか。「息子さんは、お幾つくらいですか」と私が尋ねたら、「あんたと同じ、60才くらいだ」といわれて、少しショックというか、歳相応に見られているのだと、感心するやら、諦めるやら、複雑な気持ちだった。スマイルレコード http://www.used-record.com/ 


5月3日(金)23:39 | トラックバック(0) | コメント(2) | 音楽 | 管理


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