山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2013年5月2日を表示

泉南飯盛山(ウォームス下見)その3

登山道右手に大きな穴があったので、近づいてみたが、炭窯跡のようだった。暫くして飯盛山と札立山の分岐地点に到着。近畿自然歩道の道標が設置されている。分岐から直進し飯盛山へと向かうが、右折すると札立山(ふだたてやま)、大福山、俎石山(まないたいしやま)、更には雲山峰(うんざんぽう)へと続く。すぐに三叉路となり、淡輪駅分岐を右に見送った。このコース、シブ谷コースと呼ばれ、谷筋に続く道らしい。丁度、分岐で夫婦連れらしき登山者と出会ったが、淡輪駅へ下山されるようで、情報交換した。


やがて千間寺跡と呼ばれる場所に到着。岬町教育委員会が設置した説明板によると、『この山の頂近くに「千間寺」という寺があった。 開基は役の行者といわれている。 修験道葛城二八宿の第四番の行場であった。 戦国時代には根来寺の末寺になって、数多くの僧兵が住んでいたが、 織田信長の雑賀攻め(一五七七)か、豊臣秀吉の根来攻め(一五八五)のときに、兵火にかかって焼失した。 寺跡には現在でも屋根瓦や日用雑器の破片が散乱している。 その当時栽培されていた茶の木も現存するほか、馬道、鞍掛、大門跡の地名など、数多くの伝承が残されている。 幕末期、異国船が大阪湾を往来するようになり、その見張りのため「番所」が設置され、港湾の状況を逸早く大阪へ通報役目を果たした。』この説明板の左に鳥居があって、その先に、閼伽井とみられる井戸があった


飯盛山へは説明板のところから右へ歩く。展望のよい開けた場所に出たが、山頂はもう少し先、鉄塔を潜って、ようやく山頂に到着。この日は霞んでいて遠望は得られなかったが、ほぼ360度パノラマで、視界が良ければ絶景だろう。画像は右からH氏、T氏、左端は山頂で居合わせた登山者。山頂には4つのペンチと展望デッキが設置されていたが、ペンチは一つだけ空いていた。ここで昼食にしたが、コンスタントに登山者が登ってくる。人気の山だが、登山者で溢れるというほどではなく、どちらかといえば静かな山を楽しみたい人向きか。


山頂で、京都府宇治市から夫婦で来られていた奥さんと情報交換した。こちらは、この山域に詳しいH氏が相手されていたが、格安で電車に乗るチケット、「スルッとKANSAI 3day チケット」の使い方を教えてもらった。3日間、関西の私鉄や一部のバスが乗り放題で5千円。但し、期間限定で春季は3/15~5/12迄。このチケットの存在は知っていたが、今まで、一回に乗る電車の区間距離が長いケースが少なく、この為、購入は消極的だった。


飯盛山の山頂を後に下山を開始した。H氏によると、下ったり登ったりの繰り返しで、結構、時間がかかるということで、登りを下りのペースと同じで歩くとバテるだろう。また、一部、フィックスロープが設置されているところもあり、慎重に下る。私はストックを使ったが、H氏も使われ、具合がよいとのことだつた。暫く歩くと、松茸山の立看板が目立つ。11月30日まで立入禁止と表示されていた。これは、ロープの中であり、登山道は対象外だろう。


5月2日(木)21:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

泉南飯盛山(ウォームス下見)その2

高仙寺山門を経て、石段を登ると、今度は上孝子村と彫られた石燈篭があり、建屋には東司の表示板があった。東司は禅宗で使われる言葉でトイレのこと、後で調べると高仙寺は曹洞宗で禅宗の一派だった。東司の横には休憩所があり、鍵が掛かっていなかったので、中を拝見したが、畳に座敷机が二脚置いてあった。更に石段を登ると本堂で、左後方に役行者を祀った石宮があり、その左には、役行者母公之墓があった。(画像)


周りには沢山の石仏が無雑作に置かれており、やや小柄な五輪塔があったが、T氏によると、一つの石から彫りだされた「一石五輪塔」(いっせきごりんとう)と呼ばれるそうな。飯盛山へは稲荷神社の横から取り付く。


九十九折に続く登山道は、ザラザラと滑りやすく慎重に歩きたい。H氏がこの日、ストックを初めて使われたが、私的には登りより下りの方が重宝すると思う。暫く登ると、後方から夫婦連れとみられる方が登ってきたので道を譲る。展望のよいザラ場に出て小休止。周りの山々が見渡せるが、植林がほとんどなく、自然林が多い。この場所から、これから登る飯盛山を山座同定しょうとしたが、ここからはまだ見えなかったようだ。登山道に入って、最初の目印となる人工物に出合った。共聴アンテナである。


「飯盛山 高野山コース」の私製の道標を見て歩く。共聴アンテナから8分で高野山頂に到着。展望はない。案内板には次のように記されていた。「秋分(9月23日頃西の方へ沈む夕日が美しいため、夕日を拝むために多くの人が、山頂へ登ってきたそうです。」(岬自然愛護会)画像は高野山からの下り道で撮影。全体的に登山道は明確だが、上り下りが激しい。


やがて関電反射板が設置された展望地に出る。反射板は2基設置されていた。ここからは尾根筋を歩きやや下り道となるがすぐに登り返す。潅木の隙間から、紀淡海峡や深日港を見ながら歩く。画像は眼下に「ドライブスクールみさき」左上が深日港とみられる。やがて藤戸山(305m)に到着。ここも展望はない。私製のプレートがなければ、頂上とは気づかずに通り過ぎそうだった。


5月2日(木)21:24 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

泉南飯盛山(ウォームス下見)その1

2013年4月29日(月)は、Webサイト「石仏の辻」 http://sekibutuwalk.blog99.fc2.com/ のウォーキングイベントの一つである「ウォームス」の下見として、大阪府泉南郡岬町にある「泉南飯盛山」に3人で出かけた。(H氏、T氏と私)M氏は参加の予定であったが所用により参加を見合わせられた。尚、これに先立ち、H氏が下見の“下見”をされていたので、よりスムーズに歩くことが出来た。岬町は大阪府の最南端に位置し、南西に和歌山市、東に阪南市と隣接しており、北側は大阪湾となる。みさき公園が知られているが、泉南飯盛山は、みさき公園の南南東に位置する。標高384.5m(三等三角点)と低山であるが、歩き始めの南海孝子駅の標高が50m、ゴールの南海みさき公園駅も20mと低く、加えて上り下りの連続で、低山だと侮れない山だった。山頂からの展望は、ほぼ360度パノラマで、海なし奈良県に住む私としては惹かれる。六甲とはまた違った山村風景も魅力的。更に紀泉アルプス周辺は電車だけのアクセスで済むのが便利♪

【コースタイム】
9:18南海本線孝子(きょうし)駅9:23-9:37山道入口(道標)-9:51高仙寺山門-10:00本堂-10:07役行者母公之墓-10:12登山口(稲荷神社横)-10:39共聴アンテナ-10:47高野山(たかのやま 285m)-11:02関電反射板-11:33藤戸山(305m)-12:07飯盛山・札立山分岐-12:12淡輪駅(シブ谷コース)分岐-12:15千間寺跡-12:32飯盛山(384.5m 昼食)13:35-14:33広場(飯盛山ビューポイント)-15:10休憩所(紀淡海峡ビューポイント)15:27-(あじさいロード)-15:41登山口(住宅地)-15:51夕野池-15:59南海みさき公園駅16:12-16:58南海難波駅-反省会(キリンシティ なんばCITY店)-二次会(酒友忠じ)

天気予報は晴マーク。なので雨具は持参せず。山歩きを始めた頃、山行には雨具は必須と思っていたが今は昔。画像は近鉄菖蒲池駅への歩道(奈良市あやめ池南1丁目)で撮影。ほぼ満開。



エアーポートのコンコースかと思ってしまうが、“空港線”という表示が紛らわしい。乗車する電車は南海特急サザン5号和歌山市行。但し、座席指定の特急券は購入せず。例によって菖蒲池駅で一本早い電車に乗ったので、当然ながら南海難波駅には予定より早く着いた


サザンとは泉佐野駅でお別れし、和歌山市行のローカル電車に乗り換えた。泉佐野駅から10駅目で無人の孝子駅に到着。電車の進行方向の線路に沿って歩き、やがて踏切を渡ると右手に道標を見た。T氏によると、「くハんおむみち」(観音道)とか。


すぐ先の分岐では左折し、左に人家を見ながら歩く、道標を見て古びた橋を渡り右折する。ここから地道となる。橋を渡って左にも踏み跡があったが旧街道だろう。右にイノシシ避けの柵が続く畑を見ながら歩く。やがて石段となるが、その手前に「信解品霊場」(しんげほんれいじょう)の石碑がある。古びた階段を登る。参拝者はおらず。何か時代劇にでも登場するような場所だ。天明二年の石燈篭があった。T氏によると、天明(てんめい)二年は、大飢饉の年で、後で調べたが、1782年(天明二年)から1788年(天明八年)にかけて大飢饉が発生し、天明の大飢饉と呼ばれ江戸四大飢饉の一つだとか。やがて山門に到着。阿吽の仁王が Welcome してくれた。画像は阿形。


こちらは吽形の後にいた鰐だろう。


5月2日(木)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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