山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2014年4月を表示

音羽三山_展望台12

稜線歩きが暫く続き、その後、小さく下る。周りはすべて植林で景色にほとんど変化はない。


やがて登り返すと、音羽山の山頂に到着。


展望はなく、山頂板の表示がないと、どこが山頂かわかりにくい。


山頂で少し休憩するが、展望もないので先に進むことに。


音羽山の山頂付近はクマザサが生い茂っていたが、鞍部に向って下ると、クマザサは見えなくなり、下草がほとんど生えていない植林帯の中を歩く。


4月5日(土)20:54 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台11

昼食を済ませ、いよいよ音羽山の山頂を目指す。


展望台を後にして、振り返る。画像の二人は別の登山パーティー。尚、ここからの展望は、奈良県景観資産に登録されている。奈良県のHP http://www.pref.nara.jp/dd.aspx?menuid=31273


一旦、谷筋へ下って、従来からある登山道に合流し、これを歩く。尚、展望台から、直に山頂へと向う踏み跡もあるらしいが、歩いたことはない。


すぐに谷筋を離れ、尾根に取り付く。暫く、九十九折に登る。


主稜線に出ると、傾斜は緩やかになってくる。以前、下見に来た時は、展望台からの踏み跡らしき分岐があったが、この日は気付かず。踏み跡は消えたのかもしれない。


4月4日(金)21:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台10

昨年の夏に下見に来た時より、登山道は整備されているといった印象。尚、この道普請は、「新宮山彦ぐるーぷ」によるものと聞く。「新宮山彦ぐるーぷ」のHP http://syamabiko.web.fc2.com/


画像ではわかりにくいかもしれないが、相当急な斜面。


よじ登る、這いずり上がるといった表現がピッタリ。


ようやく展望台広場に到着。展望台への取付から20分程度。程よい汗をかいた。


ここで眺望を楽しみながらの昼食となる。暑くも寒くもなく、絶好の登山日和。


4月4日(金)21:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台9

展望台へ至る道は、所謂、道普請で、いきなり急登となる。しかし、振り返れば展望が開けており、ゆっくりと展望を楽しみながら登ることが出来る。


中央のなだらかなピークは藤原鎌足の墓とされている「御破裂山」607m。


急登が続く。


これは雨水を溜める器で、植栽した木々に水を遣るのだろう。


植栽されたばかりの若木。これから育てていくには、下草を刈り取るのが大変だと思う。ネットは鹿の食害から守る。


4月3日(木)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台8

観音寺を後にする。右に見える建物は護摩祈祷所。この時、般若心経が唱えるお経が聞こえ、護摩祈祷が行われている真っ最中だった。


音羽山登山道を示す道標。


登山道脇に記念碑がある。文中にある芝房治氏は郷土史家で、私は彼の講演「音羽山観音寺と皇朝十二銭」を聞いたことがある。尚、残念ながら故人となられた。


これは以前、お寺で頂戴した「音羽観音のあらまし」。


登山道は本格的な登りに差し掛かってすぐ、展望台への分岐となる。ここは以前からある谷筋の道ではなく、眺望が利く展望台への直登ルートを歩くことになった。


4月3日(木)19:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台7

香久山香山寺(こうざんじ)から移されたと伝える明暦二年銘のある梵鐘。尚、香山寺は廃滅。


境内で休憩中の皆さん。


境内の奥に、柵で囲われたところがあり、中には花が植えてあった。あまり見かけない花なので、お寺の人に尋ねると、ユキワリソウとのこと。


こちらは白い花。ニリンソウの花に似ているが、葉っぱが違う。


葉っぱが独特で、オキザリスの葉に似ている。


4月2日(水)21:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台6

こちらは植栽されたであろうフクジュソウ。


軒下に積まれた薪。


観音寺は尼寺で、このお人形は、左・住職(Gさん)と副住職(Sさん)だろう。


境内に建つ歌人・生田蝶介の歌碑。「人麻呂の 嘆きをぢかに 聴きており 暦日も無き 山の秋雨」
※Wikipediaより「生田 蝶介(いくた ちょうすけ、1889年5月26日-1976年5月3日)は、日本の歌人、小説家。本名・調介。山口県生まれ。早稲田大学中退。博文館の社員となり、1916年歌集『長旅』を刊行、1924年歌誌『吾妹(わぎも)』を創刊する。批評、小説も書いた。」
生田蝶介が昭和三十六年十月秋雨の中、観音寺を訪れた。



シイタケを栽培されている。


4月2日(水)21:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台5

頭上を眺めると、画像では分かりにくいが、観音寺の建物が見えた。以前はこの場所からは見えなかった。よく見ると周りの植林が間伐されており、見通しがよくなっていた。明るくて気持ちが良い。


左手に階段が現れる。観音寺の境内へはこの階段を登る。


階段を登り詰めると本堂。


音羽山と彫られた手水鉢。文政十一年の寄進。この手水鉢は、四人の力士で支えられている脚が見える。


境内の奥の方へ入って行くと、フキノトウがあった。植栽されたものかもしれない。


4月1日(火)20:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

音羽三山_展望台4

植林帯の中に続く舗装された道を歩く。杉の花粉が気になるので、この日、私はマスクをつけてきた。


道標。「左 たふのミ祢 音羽山観世音」。裏には安政二年六月吉日と刻まれている。安政二年は1855年。この道標は登ってきた人の道しるべではなく、観音寺から下ってきた人の為に、多武峯へ行く道を示している。


やがて、石で作られた小さな橋、「無常橋」を渡る。この橋には建立した日が刻まれいている。明治三十九年四月十七日。


お二人とも、お辞儀をしているように見えるが、そうではなく、傾斜が急なので、自然とこのような格好になる。


丁石を見ながら登るのもよいが、このような絵を眺めながら歩くのも楽しい。


4月1日(火)19:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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