安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺9 |
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| 別のところでトイレを済ませ昼食場所を探す。 まだ暑いので日差しを避けたい。 すると、前方に東屋が見えたので行ってみる。
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| 誰も使用していなかったのでここを利用することに。
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| 国指定史跡 新沢千塚古墳群 昭和五一年三月三一日 史跡指定文部省告示第四四号
新沢千塚古墳群は、貝吹山から西北にのびる丘陵上にあり、総数約六00基からなる日本を代表する群集墳である。 越智岡丘陵と呼ばれるこの丘陵は北と南に分れているため、群集墳はそれぞれを大きく北群、南群として捉えている。 この古墳群の多くは径一0mから三0mの円墳で構成されるが、前方後円墳、方墳、長方形墳を含み、その多様な古墳の存在が特色の一つとなっている。 築造の開始は四世紀後半に遡り、六世紀末頃まで二00年以上営々と造り続けられているが、多数の古墳が築かれたのは五世紀半ばから六世紀前半を中心とする時期であり、他地域の群集墳の先駆となっている。 古墳の埋葬施設は、大多数が木棺をそのまま埋める木棺直葬の形式であるが、南群にある二二一号墳など横穴式石室を有するものも確認されている。 出土遺物は内容が豊富であり、北群にある一二六号墳のように、ガラス皿と碗、青銅製熨斗、金・銀製の冠飾・耳飾・腕輪・指輪などが出土(重要文化財に指定)するなど大陸的要素の強い古墳も含まれており、大陸との関係を知る上でも貴重な古墳といえる。
平成三一年三月
奈良県教育委員会 橿 原 市
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| 昼食後、時間があったので、一人で付近の古墳群を散策。
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| 説明板にもあった通り、総数約六00基という数に驚く。 10~15メートル程度の円墳が行けども行けども続く。
つづく。
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12月10日(日)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺8 |
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| 整備された道を歩く。 このような石垣は、当然、後の時代になってから築かれたのだろう。
暫く歩くが、古墳の中に入れなかった。 左側に古墳が見えるのだが、アクセス出来ない。 ルートが少ないことと、スズメバチの巣があるので通行止めになっていた。 また、南方向へ行きたいのだが、西方向に道が続いていた。 すると、右側にクリーンセンターかしはら(ゴミ処理場)が見えてきて、益々、意図しない方向へ歩いている。
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| ようやく古墳公園の入口に到着したようだ。
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| ここが入口。
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| この地図は上が北北東。 案内図の左下、赤四角で囲んだところが現在地。 最初に古墳公園に入ったのは赤矢印のところだった。 そこから、ここまで歩いて来たルートに青線を引いた。 また、この案内図を見て南群エリアがあることを知った。
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| 「シルクの杜」と称する施設が建つ。 中に入ってトイレを借用しようとしたが、土足禁止だったので入館を躊躇した。
つづく。
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12月10日(日)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺7 |
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| ここからは北東方向に、こんもりとした畝傍山が見えた。 この方向に大々的な古墳公園が存在することをまったく知らなかった。
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| いきなり「スズメバチに注意!」に少し驚く。 この注意書きがいたるところにあって、この古墳はスズメバチ繁殖のメッカ?になっているようだ。 この日、私は黒色の服を着ていたので気になった。 ハチは黒色を嫌う。(天敵が黒のツキノワグマなので本能的に攻撃する)
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| 小さな古墳が点在している。
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| 夫々の古墳には番号が付けられていた。
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| この辺りは古墳公園の隅っこの方なので、私たち以外に訪れる人の姿を見なかった。 後でわかったが、南群エリアの方が早くから整備されていたらしい。
つづく。
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12月10日(日)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺6 |
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| 「西池尻共同墓地」の石柱が立つ。 墓地の中に入らずに横を通り抜けられそう。
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| 地蔵菩薩立像だが、右に刻まれた文字?が読めない。 左にも文字が刻まれているが、同一の石工が刻んだようには見えない。 右側の文字は悪戯とは思えないが。
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| 新沢千塚古墳群公園へ続くであろう小道を歩く。
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| どうやら入れたようだ。
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| 「新沢千塚古墳群公園 北群案内図」。 現在地は地図の中央より少し下。 アジサイ広場の横。 サブエントランスの表示がある。
後でわかったが、この地図は北群エリアのみで、南群エリアもあった。
つづく。
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12月9日(土)06:15 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺5 |
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| 道路脇に「第三代 安寧天皇陵」の道標が立ってある。
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| 安寧(あんねい)天皇陵を正面から撮影。
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| 「安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵」と記されている。 下記サイトによると、 日本の第3代天皇・・実在性については諸説ある。
安寧天皇
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| 安寧天皇陵を後にし、この日のメインとなる新沢千塚古墳群公園へ向かう。 近鉄南大阪線を横断、高取川に架かる橋を渡り、橿原市吉田町から西池尻町へと歩いて来た。
広大な新沢千塚古墳群公園の場所はわかる。 しかし、公園の裏方向(北端)から歩いて来ているので、公園へ至る道と入口がよく分からない。 やむなく田んぼの畦道を歩くことに。
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| 前方に見える、こんもりとした盛り土が古墳の一つだろう。 その左に小道が見えたので、そこへ向かって歩くことに。
つづく。
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12月9日(土)06:11 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺4 |
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| 畝傍山周辺案内図。 この地図は上が西を示している。 現在地は右上。 この後、南(左)へ歩き、安寧天皇陵に立ち寄る。 近鉄南大阪線を横断して、更に南へ向かうが、この地図にはその先の記載がない。
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| ここよりもう少し離れたところから、「雪の元」の看板が見えたので、酒蔵かと思っていたがそうではなかった。 この看板には“ひふ外用薬”とあるので製薬会社らしい。
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| 道幅が狭くなっており、クルマの通行に注意して歩く。
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| 「雪の元」の立派な建物が見えて来た。 下記サイトによると、橿原市に本社を置く製薬メーカー。 明治32年、前身である「大谷屋藤本薬房」創設以来・・
株式会社雪の元本店
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| この道路はクルマの通行量が多く、地元ドライバーの“抜け道”となっているようだ。
つづく。
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12月9日(土)06:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺3 |
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| 前方に見える高取川に沿って左(南)へ歩く。 高取川の土手には桜が植えられているようだ。
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| 高取川に架かる橋を渡らず、橋の手前で左折。
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| 暫く高取川の流れと並行して歩く。 (撮影した付近からは高取川は見えない)
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| 吊るし柿にする渋柿だろう。 吊るし柿にする頃合は“木枯らし一号”が吹いた時期が良いという。 理由はそれより早く吊るすと、カビが生えるから。 尚、近畿地方の2023年の木枯らし一号は11月11日だった。
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| 「禅 曹洞宗 慈明禅寺」の寺標と鳥居が立つ。 右手に池があり、その奥にあるようだ。 この日は立ち寄らず。
つづく。
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12月9日(土)06:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺2 |
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| 県道125から離れ、神武天皇陵参道を歩く。 前方に見えるのが神武天皇陵。 コースは参道の途中で左折する。(西)
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| この階段を登る。
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| 森の中に整備された幅広の歩道が橿原市山本町へと続いている。
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| やがて森の中を抜け、山本町の集落の中を歩く。 画像は現在建設中の県立医科大学新キャンパス。
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| 山本大師惠泉寺前を通過。
つづく。
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12月9日(土)06:00 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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安寧天皇陵_新沢千塚古墳群公園_ 久米寺1 |
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| 2023年10月28日(土)は土曜会に参加した。
タイトルは「新沢千塚古墳公園を散策」。 新沢千塚古墳公園を訪れるのはこれが初めて。
コース:近鉄橿原線畝傍御陵前駅_神武天皇陵参道_山本町_安寧(あんねい)天皇陵_新沢千塚古墳群公園_久米寺_近鉄橿原線橿原神宮前駅
画像はこの日歩いたGPSログを表示。
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| 近鉄橿原線畝傍御陵前駅。 地上駅だが、他の近鉄の駅によくある駅舎(改札口)は地下。 外観は大和棟古民家風の造り。
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| 信号機のある交差点で県道125を横断し右へ。(北)
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| 県道125の歩道を北へ歩く。
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| ムラサキシジミだろう。
つづく。
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12月8日(金)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺29/29 |
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| 掩体壕を後にして田んぼの畦道を歩く。
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| 高安駅へ向かう。
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| 畑の畦道に植えられていた。 パパイヤ(蕃瓜樹)だろう。
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| 恩智川に架かる橋を渡り、高安町南一丁目を西へ歩く。
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| 前方、踏切の手前を右折して、15時11分、近鉄大阪線高安駅にゴールした。
おしまい。
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12月8日(金)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺28 |
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| 善光寺前の道を南へ歩く。 この日の最後の訪問ポイントとなる、旧陸軍大正飛行場垣内掩体壕(かいちえんたいごう)跡へ向かう。 赤矢印の通り進む。
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| 田んぼの畦道を歩いて到着。 周囲は畑。 下記サイトによると、 大阪唯一の「掩体壕」など 戦争遺跡を辿る案内人の思い
掩体壕(えんたいごう)は、第2次世界大戦中、戦闘機などを敵機の攻撃から守るため、全国各地に築かれた格納庫。
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| 別の角度から撮影。 コンクリートらしき頑丈なもので造られている。 ここへ飛行機を格納した。
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| 内部は現在、農道具などを収納している。 ここは個人の私有地となっている。
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| 掩体壕をバックに記念撮影。
つづく。
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12月8日(金)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺27 |
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| 「元善光寺」の名前が見える。(赤線を引いた部分)
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| 境内に置かれていた二つの自然石の道標。 右側の石には「左 善光寺」と刻まれている。
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| 左側の石には「右 善光寺」。 どちらの石も、他の場所に置かれていたものを、道路工事などの事情で、ここへ移動したようだ。
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| 不断山善光寺と称し一光三尊の阿弥陀如来を本尊とする。 元善光寺ともいい、本田善光が難波の堀江に於いて仏像を感得し、信濃へ帰る途中ここに一泊し、まずその分身をまつり庵をたて翌年再び訪れて当寺を建立したものと伝える。 境内には府天然記念物の大樟樹があり不断梅、信濃柿とともに三名木としてその由緒を語るものがある。 毎年四月、九月の十六日には盛大なお通夜行事が行われ翌朝ご本尊の開帳がある。 八尾市教育委員会
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| 善光寺を後にする。 右は自然石の道標。 「右 善光寺」と刻まれているようだ。
つづく。
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12月8日(金)05:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺26 |
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| 子守社付近から大きなクスノキが見えたので、そこが善光寺だろうと、目星をつけて歩いたが、入口がわからない。 地図を見ると位置としては子守社の西に隣接している。 結局、大きく西へ回り込み左折(南)すると善光寺の参道があった。
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| 門前に「名木 きとくの楠 志なの柿 ふだん梅 不断山 善光寺」と刻まれた碑がある。 境内を見渡したが、楠はここからも見えるが、柿と梅は特定出来なかった。
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| このクスノキ、お化けみたいに大きい。 不気味なくらい。 善光寺のくす
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| 境内に善光寺の名前の由来となった本田善光の像が建っている。
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| 下記のサイトによると、 本田善光
本田 善光(ほんだ よしみつ、本多 善光とも)は、飛鳥時代の人物。 善光寺の名の由来となった。架空の人物だという説もある。
つづく。
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12月8日(金)05:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺25 |
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| 畑に植えられていたトウゴマ。(唐胡麻) トウゴマ
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| この柿、渋柿? 甘柿の代表として、富有柿、次郎柿、太秋柿の3品種が知られているそうだが、素人にはわからないのでは。
【参考】 甘柿(31品種)
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| 無人販売のコーナー。 生しいたけ200円、売り切れ。
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| 垣内(かいち)公園入口の手前で左へ。(西)
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| 左に「子守社」の扁額が掲げられた神社を通過。
つづく。
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12月7日(木)07:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理
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