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近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年12月を表示

土曜会ハイキング予定修正版

2023年12月9日(土)に計画されていたハイキングは都合により中止するとのことです。


12月4日(月)19:01 | トラックバック(0) | コメント(2) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺10

車道を北へ歩く。
この先、左下へ降りる道があり、これを歩く。



左に大阪平野を眺めながら歩く。


やがて、鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社の参道に出合う。
この後、石段を登って境内で昼食となる。



石神社とよく似た造りとなっており、長くて急な石段が見える。


鳥居を潜り、石段を登ってお参りした。

つづく。



12月4日(月)05:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺9

「ぶどうの小道」と記された道標。
ごく最近、つくられたようだ。
これを見て観光用の歩道であることを確信した。



大きな葡萄が、たわわに実っていた。


道路に出るところに道標が立ってあり、ここまで歩いて来た道が「ぶどう棚の小道」となっていた。


登って来た階段を振り返って撮影。
かなりの急斜面。



ここから大阪平野の眺望が得られる。
位置の確認をするのに、一番の目印になるのは、やはり、あべのハルカスだろう。

つづく。



12月4日(月)05:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺8

ぶどうに関してはまったくの素人だが、画像はマスカットと呼ばれる品種かもしれない。
ワイン、レーズン、生食用。



コンコードと呼ばれる品種かも。
生食のほか、果汁飲料、醸造用。



柏原のぶどう産業について

旧堅下村は、現在の柏原市山ノ井、平野、大県、太平寺、安堂、高井田にあたり、ここで栽培されたぶどうは、今でも「堅下ぶどう」と呼ばれています。
明治11(1878)年に、堅下村平野の中野喜平氏が甲州ぶどうの苗木の育成に成功しました。
当初、ぶどうは宅地内で、日陰樹を兼ねて栽培されていたようですが、綿の生産衰退に替わって田畑で栽培されるようになりました。
明治時代はぶどう栽培の模索期にあたり、病害虫の予防や施肥、剪定、適応品種の選定などが、個人の努力によって手探りで進められた時代でした。
明治末から昭和初期にかけて、ぶどうの栽培は定着し、新品種の栽培も試みられるなど、拡大を続けました。
昭和10(1935)年の、大阪府におけるぶどうの栽培面積は866haで全国最大でしたが、その30%近くを堅下村が占めていました。
大正6(1917)年には温室による加温栽培も始まり、それにより6月頃には出荷が可能になりました。
しかし太平洋戦争が始まると、キラキラと光る温室は空襲目標になるという理由で、昭和20(1945)年3月までに全て撤去されました。
太平洋戦争中、他の果実が生産統制を受ける中、ぶどうの栽培面積はあまり変化しませんでした。
その理由は、ワイン醸造中にできる酒石酸が電波兵器に必要であったため、生産が奨励されたためです。
戦後、ぶどうの生産は徐々に復興していきましたが、昭和25(1950)年のジェーン台風、昭和36(1961)年の第二室戸台風により大きな被害を受けたことや、高度経済成長による宅地開発の急増により、平地部のぶどう園は次々と宅地化され、栽培面積は減少していきました。
現在の柏原市のぶどう栽培面積は約150haで、昭和10(1935)年の510haに比べると、約70%減少しています。
しかし収穫量の減少幅はそれほど大きくなく、2,000t前後が続いています。
効率的な栽培により、単位面積当たりの収穫量が増加していることがうかがえます。
府内の市町村で、柏原市は羽曳野市に次いで2位の栽培面積・収穫量を誇っています。
また特徴として、栽培品種が豊富なこと、マスカット・ベリーAの収穫量は府内で最高であること、観光農園が盛んなこと、ワインや菓子類への加工が盛んなことがあげられます。



一面、ぶどう畑が広がっている。
栽培地なので、無断で入ってはいけないかも、と思ったが、足元に明らかに観光客用と見られる照明器具が設けられていたので入ってみた。



ぶどうの木のトンネルを潜る。

つづく。



12月4日(月)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺7

柏原ワインの直売所が案内板に載っていた。
地図によると、このまま西へ歩き、R170に出合って右折(北)、更に右折(東)すると直売所の看板が見える。



ここが直売所。
多くの人が店の中に入り、何人かはワインや物品を買ったみたい。
Tリーダーが赤ワインを買い、昼食時に頂いた。
かなり甘口だったと思う。



木樽が並べられていた。
何と5171リットル。



側板と呼ばれる部分。
それにしても大きい。
「ワイン樽のひみつ」

木樽は側板(staves)と蓋になる鏡板(head boards)板を締めているフープ(hoop)の主に3つの部分で構成



直売所を後にして、ぶどうが栽培されている山の裾野方面へ向かう。
右はぶどう畑。

つづく。



12月4日(月)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺6

石神社から北へ向かう道を歩く。
道路幅が極端に狭くなっており「この先、普通車の通り抜け不可」と貼紙がしてある。



軽自動車ならギリギリ通れそう。


辻を左折(西)すると、右手(北)に「柏原ワイン」の看板と作業場が見えた。


「カタシモワインフード 貯蔵庫」 登録有形文化財

「ぶどう」は柏原市の特産物の1つです。
明治時代以降、全国規模での生産量を誇り、大正の終り頃にはワインの醸造も盛んになりました。
この建物はぶどうの貯蔵庫として大正時代に建てられたもので、1階は鉄筋コンクリート造、2階は木造です。
1階の床と壁はコンクリートの内側に炭を詰めた構造となっており、気温や湿度の影響を少なくすることができます。
ぶどうの生産が大きく発展した時代に、出荷時期をずらすことでその価値を高めるという生産者の知恵が生まれた工夫です。
ワイン製造に成功し各地に出荷されるようになってからは、ワイン貯蔵庫として使用されています。
ぶどう生産という地場産業の近代化遺産として価値があり、この地域の景観を演出していることから、平成17年に国の登録有形文化財になりました。
   平成17年3月 柏原市教育委員会

尚、この貯蔵庫は道路に面しておらず、どの建物がそれなのか、分からなかった。
後で調べると、会社の敷地の中にあるようで、一般公開はされていない。
カタシモワインフード貯蔵庫



「かたしもワイン祭り 2023」のパンフレット。
2023年11月19日(日)に開催。(このイベントに私は不参加)

つづく。



12月4日(月)05:36 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺5

拝殿、本殿へと続く長く急な石段。


「石神社」
「御祭神」 【詳細省略】
石姫命 石長姫命 熊野権現
「由緒」 【詳細省略】
石姫命、石長姫命ともに当地に祀る由縁もなく、熊野権現は江戸時代に高野街道沿いで熊野権現社とも称され祀っていたもので特定の祭神ではなく、磐座信仰に由来する自然信仰から産土神へと、地域に根差した神社とも考えられています。

上記、説明書きの由緒によると、この神社は神話に登場する特定の神ではなく、古くは自然信仰(磐座信仰)に由来する神社なのだろう。



智識寺の東塔に使用されていた塔心礎。
【コラム】聖徳太子と柏原 (6)聖徳太子と智識寺



智識寺東塔刹柱礎石 (大阪府指定文化財)
       石神社
智識寺は奈良・平安時代河内を代表する大寺院で、東大寺大仏造顕の機縁となった大仏を本尊とし、聖武・孝謙帝、藤原頼道などの参詣、法華寺への胴の運上といった動きが知られています。
伽藍は東・西二塔をもつ薬師寺式の配置で、この刹柱礎石は、東塔跡と推定される太平寺二丁目一八-七・山本義一氏宅地東南角の土蔵付近から出土したものです。
花崗岩製で、この塔心礎の柱穴の直径は一二二センチあり、この上に建てられていた塔は高さ四八、八メートルの五重塔であったと推定されます。
智識寺の大仏は高さ一八メートルと伝えられ、この礎石から推定される塔も、そうした巨大な仏像を本尊とする大寺院にふさわしい大きさです。
   大阪府教育委員会 柏原市教育委員会



石神社を後にする。
太平寺地区総合案内板が掲げられていた。

つづく。



12月3日(日)06:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺4

歴史の丘(展望台公園)から降りて来たところから、石(いわ)神社の境内に繋がっている。


ここにも智識寺跡の説明板がある。

「この付近一帯には、「智識寺」と呼ばれる有名な古代寺院跡があり、地名から太平寺廃寺とも呼ばれています。
奈良時代、聖武天皇や孝謙天皇は、平城宮と難波宮の往来の途中に柏原の地を訪れ、智識寺、山下寺、大里寺、三宅寺、家原寺、鳥坂寺の六寺に礼拝、礼仏されました。
中でも智識寺には大きな盧遮那仏があり、それを見た聖武天皇は、その立派さに感動し、奈良東大寺の大仏を造るきっかけとなりました。
智識とは、仏教を信仰し、寺や仏像を造ることに協力した人のことであり、智識寺は、これら智識によって建てられた大規模な寺院でした。
智識寺は東西に二塔を配する薬師寺式の伽藍配置であったと推定され、東塔跡の一部が過去に調査されています。
出土した瓦から、千三百年以上前の飛鳥時代末期に創建され、室町時代頃に廃絶したようです。
石神社の境内には、東塔に使用されていた塔心礎を始めとする礎石が移されています。
  平成七年三月 柏原市教育委員会」



巨大なクスノキ。
逆光になった。



幹の太さが圧巻、スケールが違う。


説明書きによると、樹齢800数十年。天然記念物。(大阪府指定)

つづく。



12月3日(日)06:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺3

展望台から北方向、一際目立つクスノキの巨樹が見られた。
この後に訪れる、石(いわ)神社の境内に生えているのだろう。



展望台から、車椅子でも通れそうな緩やかな傾斜の道を下る。
画像の彼女たちは、木を見上げて何やら驚いている様子。
実は私も今しがた下って来た時、この木は一体ナニモノ?と内心思っていた。



今まで、このような幹に直接、多くの果実が生っている木を見たことがない。
イチジク(無花果)の実のようにも見えたが、イチジクではないことは明らか。
後で、アコウ(榕)という名前の木であることを知った。

アコウの実
アコウ (植物)



歴史の丘(展望台公園)の案内板が掲げられている。
裏側から到着したようだ。



すぐ横にはぶどう畑が広がっている。
「太豊(たいとよ)ぶどう園」の看板が掛かっていた。

つづく。



12月3日(日)06:29 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺2

地蔵堂らしきお堂があった。
堂内を覗いて見たが、垂幕と涎掛けが邪魔をして、お姿がさっぱりわからない。
リーダーがストックを使ってみたが分からなかった。残念。



この先、石段を登る。
道標は「↑太平寺」と表示。
尚、太平寺というお寺はなく地名として残っているようだ。



石段の登り口に「業平道←」更に「智識寺跡 石神社 歴史の丘 総合案内板」の表示があった。


直進は下り道。
右方向は「遊歩道(展望台出入口)」の表示があり、展望が良さそうなので、右の石段を登る。



いきなりだが「智識寺」の説明板。
文字が読み辛いので、下記ウィキペディアのサイトを参照。
尚、説明板にある写真の五重塔は追記した想像図。
(心礎(しんそ)の規模から塔の高さは約50メートルと推定)
【参考】
智識寺跡

「智識寺は、山下寺・大里寺・三宅寺・家原寺・鳥坂寺とともに「河内六寺」と総称された寺院。
古代日本において、「知識」と呼ばれた仏教信徒の財物及び労力の寄進によって建立された、
つまり民間の力で建てられた寺院を「知識寺」「智識寺」と称したが、その中でも河内六寺のひとつ、
河内国の知識寺は後に「日本三大仏」に数えられた廬舎那仏を安置するなど、その規模の大きさで知られていた。」

つづく。



12月3日(日)06:23 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺1

2023年10月26日(木)は、ササユリの会に参加した。
題して「吉田初三郎鳥瞰図の世界を歩く5~安堂から高安まで~」。

コース
近鉄大阪線安堂駅_智識寺(ちしきじ)跡説明板_歴史の丘(展望台公園)_石(いわ)神社_カタシモワイナリー_ぶどうの小道_鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社・昼食_若倭彦(わかやまとひこ)神社_瑠璃光禅(るりこうぜん)寺_若倭姫(わかやまとひめ)神社_安養寺_善光寺_旧陸軍大正飛行場垣内掩体壕(えんたいごう)跡_近鉄大阪線高安駅

画像は当日歩いたGPSログを表示。
【参考】
吉田初三郎



集合場所の安堂駅前にて。
本日も快晴。



駅前に設置された「安堂駅周辺案内図」を見ながら、Tリーダーよりこれから歩くコースについて話を聞く。
この地図で、これから訪問する場所にアンダーラインの赤線を引いた。
安堂駅→歴史の丘→石(いわ)神社→ウイナリー→業平道→鐸比古鐸比賣(ぬでひこぬでひめ)神社。



傾斜地に建てる建物として石垣を利用しているが、大和川の水害対策もあるかもしれない。


いかにも旧道といった趣きがある。
道路が狭くクルマもほとんど通行しない。

つづく。



12月3日(日)06:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

アンドレア・モティス&ジョアン・チャモロ・グループ(バルセロナ・コロシアム劇

アンドレア・モティス&ジョアン・チャモロ・グループ(バルセロナ・コロシアム劇場 2011)を視聴してみよう。
アンドレア・モティス
Joan Chamorro

Andrea Motis & Joan Chamorro Grup (teatro Coliseum, Barcelona) (2011)
0:00 Intro
0:24 Our Love Is Here to Stay
4:55 Desafinado
9:35 Someday My Prince Will Come
13:49 Twenty Four Hours a Day
18:11 My Baby Just Cares for Me
21:48 How Intensitive
27:26 Dizzy Atmosphere
30:50 Body & Soul
36:47 Crazy He Calls Me
40:33 Lullaby of Birdland
45:47 Hallelujah
49:13 I Can't Believe You're in Love with Me
..........
【Google翻訳】
バルセロナの第43回ヴォルダム国際ジャズフェスティバルのバルセロナのコロシアム劇場でのコンサート(2011年)。



12月2日(土)20:20 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

金剛山(文殊西尾根_カタクリ尾根)10/10

スギヒラタケ(杉平茸)かもしれない。毒キノコ。

スギヒラタケ



細尾谷の取り付きを振り返って撮影。
ここにも「この先危険×」の看板が掲げられていた。



今週のツチアケビ(土木通)。


12時50分百ヶ辻駐車場に帰着。
山頂広場を11時30分に出発したので、所要時間1時間20分。



反省会は「サカグラ 天王寺あべの店」と「餃子のしんちゃん」。
どちらの店もお馴染みになった。

半地下酒場 サカグラ 天王寺あべの店

餃子のしんちゃん(あべの麦酒醸造処)

おしまい。



12月2日(土)06:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(文殊西尾根_カタクリ尾根)9

細尾谷(別名:シルバーコース)を下る。
沢沿いに続く谷道で夏は涼しい。



丸太の橋を渡る。
右から馬の背が合流。
下山は左へ。



ミカエリソウ(見返草)の花が終わり、種が生っている。


サラシナショウマ(晒菜升麻)、花の形状から“試験管ブラシ”に例えられる―笑。


やがて伏見峠登山道が見えて来ると下山は近い。

つづく。



12月2日(土)06:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理

金剛山(文殊西尾根_カタクリ尾根)8

下草が茂っているが、よく歩かれているようで、地面が固まっていて歩きやすい。


傾斜が急になる。


セリ科のシラネセンキュウ(白根川弓)だろう。


左から先程分岐したカタクリ尾根谷からの踏み跡と合流。
コースは右へ。



すぐに細尾谷を渡渉。

つづく。



12月2日(土)06:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山歩き | 管理


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