山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2023年12月を表示

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺24

お不動さんを祀ったお堂を右下に眺める。
左は本堂。



「新四国八拾八箇所霊場」と刻まれている。


安養寺から北へ向かう。
アクトランドYAOの看板がある。
これは八尾市立大畑山青少年野外活動センター。



八尾市のマンホールの蓋。
下記のサイトによると、
八尾市のマンホール

八尾市だから八角形、周囲に市の花キクと河内木 綿の実、内側には糸車で糸を紡ぐ姉さんかぶりの女性。
河内木綿の伝承の地八尾市を象徴しています。
おすいマンホール蓋



「八尾の史跡」の案内図。
この地図は上が東。

現在位置(緑色の四角)から北へ歩き、善光寺(赤色の横線)へ向かう。
その後、垣内掩体壕跡(地図に表示なし)へ。
高安駅(赤色の四角)がゴール。

つづく。



12月7日(木)07:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺23

お寺は山の斜面に沿って建っているので境内は広くない。


十重石塔と呼ぶのだろうか。
塔身の下部に「日露戦役忠魂塔」と刻まれている。

そしてこの塔、左方向にかなり傾いている。



「破邪顕正 不動明王」と刻まれている。
“破邪顕正”(はじゃけんしょう)とは・・・ネット検索すると、
(仏教語)誤った考えを打破し、正しい考えを示し守ること。
不正を破って、正義を明らかにすること。



こちらも不動明王。
お不動さんは砂岩に彫られているようだ。



山の斜面に道が付けられている。
少し登ってみた。

つづく。



12月7日(木)07:41 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺22

小堂の中に石造物が見える。
木の札には「爪形 弘法大師」と記されている。



爪形をズーム撮影。
弘法大師の爪形は、他にも見たり聞いたことがある。



その隣には「子安地蔵」が祀られていた。


安養寺の寺標。
「浄土宗 多聞山 安養寺」。



拝観せずに寺標の前で待つ人もいたが、せっかく訪れたので境内に入った。
参道の右脇に石仏が祀られている。

つづく。



12月7日(木)07:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺21

オキザリスをズーム撮影。
自宅でもこの花を植えているが、病気はほとんどなく、放置してもよく育つ。
ピンク以外では黄色も植えている。



恩智神社の参道に出合う。
この日は参拝せず参道を横断する。
道標に「左 毘沙門天王 安養寺」と刻まれており安養寺へ。



赤矢印の通り歩く。


自然石の古い道標がある。
「左 志无四国」だろうか。



ここも狭い道を通る。
古くから歩かれている道。

つづく。



12月7日(木)07:33 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

リー・コニッツ デュエッツ

リー・コニッツ デュエッツを視聴してみよう。
Lee Konitz
The Lee Konitz Duets

デュエッツ
1.Struttin' With Some Barbecue
2.You Don't Know What Love Is
3.Variations On ALONE TOGETHER
4.Checkerboard
5.ERB
6.Tickle Toe
7.Duplexity
8.Alphanumeric
【Deepl翻訳】
1.ストルッティン・ウィズ・サム・バーベキュー
2.ユー・ドント・ノウ・ホワット・ラヴ・イズ
3.ALONE TOGETHERのバリエーション
4.チェッカーボード
5.エルビー
6.ティックル・トゥ
7.デュプレックス
8.英数字
Recorded at Plaza Sound Studios, New York City;September 25, 1967






12月6日(水)21:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺20

付近の住所表示は「恩智南町四丁目」。

紫色のハイビスカスだが、あまり見かけないタイプ。
伊良湖岬のハイビスカスでデニムブルーという品種かな。
ハイビスカス デニムブルー



小堂が見えたので立ち寄ってみた。


巽地蔵と表記されていた。
中を覗いてみようとしたが鍵が掛かっていた。



「史跡の道」と刻まれた道標。


太陽を浴びて咲くピンクの「オキザリス」。

つづく。



12月6日(水)05:59 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺19

小さい柿の実が沢山生っている。
これも渋柿だろう。



長茄子。
近辺ではほとんどこのような茄子は見かけない。
しかし、大阪府では「大阪長茄子」として栽培されているようだ。



「史跡の道 八尾市」の石柱。
左側面には「←感応寺 / 恩智神社」と刻まれている。
恩智神社方面へ向かう。



無人販売所が設けられていた。
珍しく私はここで5個100円の地元で栽培さた柿を買った。
通常は荷物になって重いので買わないことが多い。



「おれんじぽっと」というのは、この無人販売所の名前らしい。
他の人も買っていた様子。

つづく。



12月6日(水)05:51 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺18

山井寺の境内からの眺め。
平地より若干標高が高いので、付近を見渡すことが出来る。



モクレン(木蓮)の実だろう。
秋に赤い実をつける。



瑠璃光禅寺の境内で休憩中。


来た道を途中まで戻り、北方向に伸びる小道を歩く。
前方に墓地(来迎寺墓地)が見える。



墓地の隅っこに置かれていた。
「奉納西國三拾三所 順禮」と刻まれているようだ。

つづく。



12月6日(水)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺17

瑠璃光禅寺に隣接する若倭姫(わかやまとひめ)神社に立ち寄る。
画像は拝殿。
光不足で上手く撮影出来ていない。



式内 若倭姫神社

御祭神 若倭姫命
祭日  夏祭 七月三一日
    秋祭 十月十五日
由緒
当社の創立年次は詳らかではない。
延喜式内の古社にして、大日本史及び式内細記に清和天皇貞観元年八月丙申従五位下を授け、醍醐天皇延喜の制祈年祭並びに加鍬一口とあり、又河内志神社要録には今春日八幡(春日白山)と称し此地の産土神とす、とある。



山井寺に立ち寄ってみる。
参道まで戻らなくても、横つなぎに道が続いていた。



地蔵菩薩立像。


お地蔵様の横にも石仏が祀られていた。
阿弥陀さん?

つづく。



12月6日(水)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺16

「石造 如来形座像
 石造 菩薩形立像
         瑠璃光寺

この小堂には二体の石仏が安置されています。
いずれも古墳時代後期の凝灰岩製家形石棺の奥蓋部を転用したもので、こうした石仏は市内の高井田、青谷地区でもみることができます。
右側の如来形座像の背面には屋根形、縄掛突起などの石棺の旧状がよく残されています。
高い肉髻(にっけい)、長く豊かな耳、平行に走る納衣の線など、量感にあふれた鎌倉時代初期の作風が窺われます。
左側の像は頭部を欠損していますが、衣の襞の線、天衣のような線が見えること、両手のあらわす容姿などから菩薩立像と思われます。
この二体の石仏は、かつて野道の傍に半ば埋もれた状態で置かれていたものか、農具や刃物などの研ぎ痕が処々に見られます。
         一九八九年三月  柏原市教育委員会」



説明書きにある如来形座像。
鎌倉時代初期の作風。



頭部が欠損。
説明書きによると菩薩立像とみられる。



二尊石仏。
左側が地蔵菩薩、右側が阿弥陀如来だろう。



境内に「高田川音吉之碑」と刻まれた石碑が立つ。
下記サイトによると、地元出身の力士とのこと。
高田川部屋ブログ

「年寄・高田川の名跡は大阪相撲の名跡であり、比較的新しい頭取名で明治になって創設されたものです。
(頭取とは現在の年寄の意)
初代は高田川 音吉。
現在の大阪府柏原市山ノ井町出身の前頭上段力士・高田川です。
現役時代の四股名をそのまま頭取名としたものです。」

つづく。



12月6日(水)05:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺15

次のチェックポイントは瑠璃光禅寺で直進だが、右手に山井寺の寺標が見えた。


後で山井寺に立ち寄ってみた。
地名の“山ノ井町”の元となっているお寺だろう。



石段を登る。


瑠璃光禅寺の寺標。


歩いて来た道を振り返って撮影。

つづく。



12月5日(火)07:07 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺14

最近、よく見かけるムラサキルエリア。


柏原市の北部となる山ノ井町にやって来た。
この地区を過ぎると行政区は八尾市。



ここも狭い道を歩く。
この先の三叉路でカラー舗装されている。
カラー舗装の部分は私道ではなく公道。



熟した柿が落ちていたので、靴を汚さないようにして歩いた。


分岐で右折(東)。
山の方へ向かう。

つづく。



12月5日(火)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺13

若倭彦(わかやまとひこ)神社に到着。
所在地:柏原市平野2丁目15−22



神社にしては珍しく鳥居が見当たらない。
正面の注連縄が掛けられている柱は鳥居には見えない。
この後に訪問する、ここから北東に位置する「若倭姫(わかやまとひめ)神社」と一対になる神社。



若倭彦神社

平野地区の産土神で建筒草命ならびに若倭彦命を祀る式内社である。
六世紀の頃この地で大いに繁栄した若倭部の連がその祖神を奉斎したものであろう。
姫神は若倭姫神社(山ノ井地区)に祭祀されている。
この人々は豪族の凡河内国造や尾張ノ連とも縁が深く、農耕に励み武事に長じていたと伝えらている。
古い記録には「貞観元年(八五九)従五位下ヲ授ク」「延喜ノ制ニ小社ニ列セラレ祈年祭並ニ鍬一ロヲ奉ル」とある。
別名を「あかざ八幡」という。
なお付近に平野山古墳群がある。
   昭和六0年十月 平野地区町会



若倭彦神社を後にする。

民家の庭先に植栽されていた、園芸品種のモモシキブ。
又はピンクムラサキシキブとも呼ばれている。
モモシキブ(桃式部)



食べ頃のみかんが生っている。
付近はミニ開発された新興住宅もチラホラ建つが、長閑な風景も残っていた。

つづく。



12月5日(火)07:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺12

民家の塀に歴史好きな方だろう、このような案内板が取り付けてあった。

「風吹けば 沖つ白波 龍田山 夜半にや 君がひとり 越ゆらむ」(伊勢物語 23段)
「左右 業平道(河内山ノ辺道)」
ここは 大里ノ郷 大字平野字大南口

それにしても“河内山ノ辺道”は初耳。



この辺りを歩くのは初めてだが、何故か懐かしさを感じる町並み。


関西電力のロゴマークと、数字の「71-02」は契約者番号?
クルマのナンバープレートに似ている―笑。



柏原市のマンホールの蓋。
下記サイトによると、
柏原市(かしわらし)のマンホール

“市章の周りに特産のブドウが描かれている。「柏原市」「汚水」の表記。汚水管マンホール蓋”



付近は路地並みに道幅が狭い。
元は田んぼの畦道?

つづく。



12月5日(火)06:57 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

鐸比古鐸比賣神社_瑠璃光禅寺_垣内掩体壕跡_善光寺11

鐸比古鐸比賣神社御縁起 【一部省略】

御祭神 鐸比古命
    鐸比賣命

由緒  
鐸比古命は垂仁天皇の御子にして記紀には沼帯別命或いは鐸石別命とある。
成務天皇二一年の創建と傳えられ延喜式内の古社にして従三位の神階を給う。
往古は鐸比古命は當社奥之院高尾山頂に祭祀され、高尾大明神とも称し、また鐸比売命は高尾山麓姫山に祭祀され比売御前と称した、雨乞いの勅願所でもあった。
中世現在地に祭祀されるも兵火に遭い現本殿は元禄時代の再建である。
御祭神は和気清麿公の御遠祖にして岡山和気神社に御分霊が奉斎されているが、全国的に當御祭神を主神として祭祀する神社は当社と和気神社のみである。
明治五年旧大縣郡の郷社に列し一時平野若倭彦神社、山ノ井若倭姫神社を合祀した大県法善寺の氏神である。



境内で昼食を済ませる。


「手水の つかいかた」。


鐸比古鐸比賣神社を後にし、引き続き北へ向かって歩く。
このような狭い道は、クルマが通行しないので、安心して歩くことが出来るが、時々、行止りの場合がある。



畑に植えられていたケイトウ。(鶏頭)
あまりにも鮮やかな赤色なので、非常に目立っていた。

つづく。



12月5日(火)06:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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