山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2020年2月を表示

No.7天保一揆と国宝善水寺

不動岩に彫られた磨崖不動明王をズーム撮影するも、この位置からではよく分からない。
お寺によると室町時代、文亀三年(1503)の銘が刻まれている。



不動岩を後にして本堂へ向う。
画像は参道に立つ説明板。「岩根山物語」~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~

善水寺については、下記参照。
善水寺・・・薬師寺のひとつです。奈良時代和銅年間(708~715)元明天皇勅命により鎮護国家の道場として草創され、はじめは善水寺ではなく、「和銅寺」という名前でした。
延暦年間に傳教大師最澄上人が比叡山を開創した際、堂舎建立の用材を甲賀の地に求められました。
材木を切り出し横田川(野洲川)河岸に筏を組み、いざ流し下す段になったときに日照りが続き、河水少なく、思うように材を流すことができなくなりました。
そこで大師が請雨祈祷の為に、浄地を探されたところ、岩根山中腹より一筋の光が目に射し込み、その光りに誘われるまま和銅寺にたどり着きました。
山中に堂があり、その東側に百伝池があり、池中より一寸八分、閻浮檀金(えんぶだごん)の薬師仏を勧請され、その薬師仏を本尊として請雨の祈願を修すること七日間、満願の日に当って大雨一昼夜降り続き、流れの勢いのまま、材は川を下り琵琶湖の対岸比叡の麓に着岸したといわれています。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師が霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝(いおうぜんぜい)の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒されたそうです。
この縁に依って岩根山「善水寺」の寺号を賜わったといいます。



広い駐車場に出て入山受付へ。
入山志納料 大人 500円也。



国宝 善水寺 本堂。


本堂の近くに寄って撮影。

つづく。



2月3日(月)06:19 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ティファニー・プーン

ティファニー・プーン(Tiffany Poon 潘活活)を視聴してみよう。

Tiffany Poon plays Chopin Concerto No. 1 in E Minor Op. 11 (Better Audio)



Tiffany Poon – Chopin Piano Competition 2015 (preliminary round)



Tiffany Poon - Beethoven Sonata Op.10 No.3



Tiffany Poon - Rachmaninoff Sonata No.2, Op.36



Quarts de finale 2019 : TIFFANY POON



2月2日(日)20:32 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.6天保一揆と国宝善水寺

「岩根山物語」案内図。
サブタイトルとして、-善水寺と十二坊の歴史が今蘇る- 【像坊跡地推定図】。

この後、現在地から観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)を経て、参番 像坊跡の奥、不動岩に刻まれた磨崖不動明王を観る。
駐車場に出て善水寺本堂、境内などを拝観。
再び観音堂の手前まで戻り仁王門跡を経て正栄寺へ向かった。



「開拓道路記念碑」が立ち「国宝 善水寺参道 徒歩7分」の道標を見る。
更に「岩根山物語~善水寺と十二坊の歴史を訪ねて~」の説明板を見て善水寺への薄暗い参道を辿る。



視界が開け観音堂(壱番 岩蔵坊 僧坊跡)に到着。


観音堂に祀られている観世音菩薩坐像。


観音堂の横、参番 僧坊跡の裏山に不動岩があり磨崖不動明王が彫られている。
(画像中央左上)

つづく。



2月2日(日)05:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.5天保一揆と国宝善水寺

懐石料理店 やまりゅう前を通過し、11時46分、昼食場所の湖南市岩根まちづくりセンターに到着。


画像は湖南市観光協会から提供頂いた「大粒自慢針文五郎米と弥平たまごのヘルシー弁当」。
(昼食代金の個人負担なし)
弁当の上に乗っている油紙で包まれたものは鶏のから揚げ。



針(はり)文五郎米は、天保一揆首謀者の一人針文五郎の名を借りたお米。
弥平たまごは湖南市伝統野菜弥平とうがらしを食べて育った鶏のたまご。

お米は普段自宅で食べ慣れている奈良県産ヒノヒカリの方が口に合う。
実際のところ、外食しても自宅で食べる以上の美味しいお米を食べた記憶がほとんどない。
尚、ヒノヒカリは親戚の家(桜井市内)で栽培している。



ゆっくりと昼食を済ませ、12時43分次の訪問地善水寺へと向う。


善水寺への道。
古民家の中に続く地元の道を歩く方が風情があってよい。
地元の観光ボランティアならではのハイキング。

つづく。



2月2日(日)05:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

ASIN

ASINを視聴してみよう。


ANG BUHAY KO BY ASIN



asin-balita



ASIN - GISING NA KAIBIGAN KO



Asin - Himig ng Pag-Ibig



ASIN-HIMIG NG PAG-IBIG



asin-kaibigan



Balita: by Asin w/ lyrics



Best of ASIN



2月1日(土)21:03 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

No.4天保一揆と国宝善水寺

この後、野洲川に架かる横田橋を渡る。
少し西方向へ歩くと、辻に道標が立つ。

道標には「妙感寺 従是二十二丁 / 微妙大師萬里小路藤房郷墓所」と彫られているようだ。
この辻を右折。(北)



県道13号高架下を潜り、その後、県道13号の歩道を歩いて野洲川に架かる横田橋を渡る。
画像は横田橋から野洲川下流方向の眺め。
画像の橋桁は以前使われていたもの。



TOTO 滋賀工場前を通過し引き続き県道13号線を歩くと、画像の建造物が現れる。
何か水路の施設と思われたが、立ち寄ることもなく通り過ぎた。

参加者の中にはこの施設を見学に行かれた女性がいた。
もし、私がこのツアーに単独で参加していたら迷わず見に行った。
好奇心はチカラ也!
説明板らしきも立っている。

後日、この施設についてネット検索した結果、朝国円形分水(親水性円筒分水工)と呼ばれる施設。
朝国円形分水 (朝国地区 親水性円筒分水工)



R1(水口道路)高架下を潜り、朝国北交差点を横断。
岩根東口交差点を経て思川(おもいがわ)に架かる橋を渡る。
画像は野洲川の支流思川から下流方向の眺め。



この日のコースは思川の右岸を下る。

つづく。



2月1日(土)04:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

No.3天保一揆と国宝善水寺

天保義民之碑の土台、人造石(セメント?)が剥がれている。


天保義民之碑をご見学の方へ

この碑は、明治31年(1898)築の人造石製の10mを超える建物です。
耐震補強は出来ていないものの、今すぐ倒壊の恐れはありません。
扉のチェーンを外して碑の近くで見学頂く事が出来ます。
しかし、震度5を超えるような地震が発生した時には、倒壊の恐れがあります。
万一、地震発生の際は、倒壊の方向が不明なため、すぐ碑から10m以上(この案内の位置が碑から20mです)安全な場所まで避難願います。
湖南市 甲賀市

天保義民之碑が立つ丘は「県民花の森 天保義民の丘」と呼ばれ、モニュメントとその説明板があった。



天保義民之碑を後にしてJR草津線の踏切を横断する。
横断した辻に東講中と彫られた常夜燈が立つ。



常夜燈が立つ道はいかにも昔の街道といった雰囲気で道がくねっている。


説明板。

東海道五十三次 石部宿 横田常夜燈
東海道十三の渡しの難所の一つに数えられる横田の渡し場、湖南市側に建立されている。
安永八年(一七七四)に東講中によって建てられた火袋付の常夜灯である。
高さ四・八五メートル、五段の石積みの上に建っている。
水口側の常夜灯より五十年以上前に建てられていた。
建立された当時は現在地よりも二百メートルばかり上流に建っていたが、いつの時代か現在地に移転された。
(一社) 湖南市観光協会 (協賛) ××

つづく。



2月1日(土)04:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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