山歩きの記録+etc
 
近畿の山歩きやウォーキングの記録
 


2024年1月を表示

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社14

あべの筋(府道30号線)を横断すると、墨江から遠里小野のエリアに入る。
“遠里小野”は、“おりおの”と読む。
由緒ありげな地名。

【参考】
遠里小野

単純で分かりやすい話として、遠い里にある小さな野原―笑。



左に安楽寺があって、入口の隅に道標があった。
「左 阿倍野街道 / 右 八尾街道」と刻まれている。

道標が立つ場所から、元来からここに立っていたのではなく移動されたのだろう。
また、“阿倍野街道”は“熊野街道”を指しているようだ。



側面にも「右 八尾街道」と刻まれていた。
その下にも、何か刻まれているが小さくて読めず。



安楽寺の向いに極楽寺というお寺があった。

古風な造りで趣がある。
大きく茂った木はクスノキらしい。
寺標らしきが立つが左に少し傾いている。



「毘沙門天?」と刻まれているようだ。
右上には“楠 正?”、これは“楠正成”だろう。
左にも刻まれているが不明。
“並 同?”。

つづく。



1月5日(金)05:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社13

止止呂支比賣命神社由緒 (トドロキヒメミコト)

御祭神

素戔嗚尊
稲田姫尊
止止呂支比賣命

御鎮座の年代は不詳でありますが、延喜式(西暦八百五年制定)の神社神名帳に、当神社名がみられます。
当時、境内松林の中に清らかな清水が湧く轟池にトドロキという橋が架っており、住吉大社の摂社(奥の院)として奉斎されておりました。
承久三年、後鳥羽上皇が行幸のおり、当神社境内地内に、行宮をお築てになったことより、若松神社又は若松宮と称し、氏子の方々より「若松さん」とひたしまれ氏神様として崇め奉られております。
現在の氏子区域は墨江、清水丘、遠里小野、安立、住之江、西住之江、浜口東、浜口西、沢之、殿辻、千躰南住吉(二-四丁目)の各町と山之内の一部です。



さし石。
ネット検索すると、下記のサイトに、
サシ石

「若者たちの力試し、力競べ用の石,およびその行為に対する呼称。
番持石,重軽(おもかる)石,バンブチ,ハカリ石,沖縄ではサシ石などという。
石の形は丸型か楕円型で,重さは60~70kgから200kg近く,持ち上げた人の名や重量を刻んだものもある。」



止止呂支比賣命神社を後にして、来た道を熊野街道まで戻る。
この車両は南海電車の新型かも。



熊野街道沿いにも、先程見た銅板を使った家屋があった。
一階の部分はリニューアルしている。
この家には、うだつ(卯建)が見られる。(赤丸印)



うだつから軒下に繋がる銅板の部分をズーム撮影。

つづく。



1月5日(金)05:48 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社12

大阪市指定文化財         大阪市教育委員会

天水分豐浦命社社号標石

この石碑は、もと住之江区の安立にあった天水分豐浦命神社(あめのみまくりのみことじんじゃ)が、平安時代の「延喜式」(えんぎしき)という書物に登場する式内社(しきないしゃ)という格式のある神社のひとつ、天水分豊浦命社(あめのみくまりとようらのみことしゃ)と考えられることを示しています。
江戸時代中期の学者、並河誠所(なびかせいしょ)は、当時すでにわからなくなっていた近畿地方の式内社の場所を研究し、式内社と考えられる神社に目印となる石碑を建てることを計画しました。
一七三六年頃に、幕府の協力をえて、誠所の弟子が大阪周辺に二〇基の石碑を建てました。
うち四基が大阪市内にあり、そのひとつがこの石碑です。
正面には「天水分豊浦命社」の社号が、向かって右側には「安立町」(あんりゅうまち)と場所が刻まれています。
台石には「管廣房(すがひろふさ)建てる」とあり、石碑を建てるための資金を出したと考えられる人物の名を記しています。
明治四〇年(一九〇七年)に天水分豊浦命社が、この止止呂支比賣命神社(とどろきひめのみことじんじゃ)に遷御(せんぎょ)されたため、石碑もこの地に移りました。



黒長社

右側に見える御神木とともに、御神木でよく見かけられた蛇を黒長大神としてお祀りされている。



御神木に現れた蛇様をイメージした石の彫刻。


大相撲、高田川部屋の宿舎が境内にあった。
下記のサイトによると、(若松神社は止止呂支比売命神社の通称)
住吉区の地域と人々の暮らしを見守る若松神社に行ってみよう!

「元関脇の安芸乃島(あきのしま)が親方として、高田川部屋を経営していて、春になると大阪場所が行われるため、高田川部屋のお相撲さんがここを訪れる。



止止呂支比売命神社拝殿。

つづく。



1月5日(金)05:43 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社11

珍しい銅板を使った家屋。
町家の格子も見られた。



南海高野線の踏切を横断しようとしたが、丁度、電車がやって来た。
画像の右に見えるのが、これから訪れる止止呂支比賣命(とどろきひめみこと)神社、鎮守の森。



電車が通過するのを待つ。


止止呂支比賣命神社にお参りする。


境内末社。
扁額には「霰松原荒神」(あられまつばらこうじん)と記されている。
大阪市住之江区安立の天水分豐浦神社から、明治四十年(1907年)に、ここ「止止呂支比賣命神社」に遷御されたようだ。
(このことは後述する天水分豐浦命社社号標石の説明板に記載)

つづく。



1月4日(木)07:50 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社10

供養塔らしきを撮影していると、隣にお地蔵さんが立っていた。
お地蔵さんを撮影しようとしたら、その後に、お向かいの家の人が写ってしまった―笑。
なんか、ほのぼのとした雰囲気。



「熊野かいどう」の説明板。

熊野街道は 熊野詣でが盛んになった平安時代後期から鎌倉時代にかけて整備された
起点は渡辺の津(現在の中央区天満橋京町 江戸時代には八軒家浜と呼ばれた)で 当時 ここから終点となる熊野本宮までの道筋には 一里塚や 九十九王子をまつった社が置かれ 蟻の熊野詣と形容されるほど賑わったという
今はもう この一里塚も市内から姿を消し 社も阿部王子神社を残すのみとなって 往時の面影はなくなったが 熊野街道の名は 多くの人の心の中に生き続けている
 昭和六十一年 大阪市



「敷石周旋人」と刻まれた石碑らしきがある。
“敷石”は、道路などで、地面に敷いた平らな石。
“周旋”は、あまり聞き慣れない言葉だが、
下記サイトによると、
周旋

「周旋(しゅうせん)とは売買や交渉で当事者間に立ち世話をする事である。」

なので、このあたりの道に敷石をされた人の名前を刻んだ石碑だろう。



こちらは道標だが、頭部が欠けている。
付近の地理から察するところ、「あびこ 厄除 觀世音」だろう。



「あびこ 厄除 觀世音」の道標が立つ辻で左折。(東)
熊野街道から一旦、離れる。

このお家は玄関先に日章旗を出している。
最近は田舎でもあまり見ない光景。
(11月23日は勤労感謝の日で祝日)

つづく。



1月4日(木)07:46 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社9

大阪市立墨江小学校前を通る。
この小学校の場所に、明治元年まで津守廃寺の後見とされる津守寺があったらしい。



津守廃寺

一九四〇(昭和一五)年に、このあたりの道路工事や区画整理工事に伴って、白鳳時代(七世紀後半)の瓦や土器などの遺物が発見されました。
このことから、近辺に古代のお寺があったのではないかと考えられ、住吉大社や住吉の津とかかわりが深い古代氏族の津守氏から、津守廃寺と命名されました。
津守廃寺の後身と思われる津守寺というお寺が、一八六八(明治元)年まで現在の墨江小学校のところにありました。
津守寺は九〇一(延喜元)年に創建されたと伝えられ、薬師如来をまつっていました。
住吉大社とつながりがあったことがわかっています。
また、この津守寺に参拝した人に配られたお札を印刷した版木が残っています。
そこには本堂にまつられていた薬師如来が描かれ、当時の様子を今に伝えています。
大阪市教育員会



熊野街道の新しい道標。
八軒家浜から十二キロメートル。
(八軒家浜の所在地は大阪市中央区天満橋京町 最寄り駅は天満橋駅)



お寺の塀越しに、何やら石造物が見えたので立ち寄ってみる。


お寺は浄土宗 願生寺。
石造物は供養塔らしい。

「南無阿弥陀佛?為万人供養」。

つづく。



1月4日(木)07:04 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社8

あまり見かけない菊だが、肥後菊の小菊で御所車(ごしょぐるま)と呼ばれる品種だろう。
国立歴史民俗博物館



右手に、浄土宗 哀愍寺(あいみんじ)の看板。
その左下に赤字で、ちぎり(十徳)地蔵尊と記されている。



下記のサイトによると、ちぎり地蔵(別名:十徳地蔵)とは、字の如く“十の徳”があるお地蔵様ということらしい。
浄土宗 覆護山 冷法院 哀愍寺

❶ 女人安産
女人が安産である
❷ 水火安全
水火の災難がない
❸ 諸病消除
諸所の病いやさわりを除く
❹ 所願成就
願いごとがよくかなう
❺ 寿命長遠
できるだけ長生きできる
❻ 衆人結縁
多くの人と良い縁を結ぶことができる
❼ 神明加護
神の加護を受ける
❽ 旅路加護
旅行をしても無事である
❾ 極楽往生
極楽に生まれる
❿ 悪夢退散
悪い夢をみることがない

残念ながら、お堂の中はよく見えなかった。



「熊野かいどう」の石柱。
いかにも現代風で歴史感がないのが残念。



地面に埋め込まれていた。
昔の名前で表記。
今福村、東成郡、西成郡、天王寺村、平野郷、住吉郡、住吉村、遠里小野村・・・。

つづく。



1月4日(木)07:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社7

虫籠窓の傍に見えたものは鍾馗(しょうき)さん。
鍾馗



この家屋、池田屋の由来について掲示してある。

由来
住乃江味噌は明治の始め当家十七代目池田屋甚兵衛が多年に渉り研究したる手法をもって調製したものであります。
当時宮中出仕の女官若菜局を介し、明治天皇に十五ヶ年の長きに亘り献上致し、引き続き大正天皇、今上天皇の摂政宮殿下時代にも献上の光栄に浴しました。
住之江味噌の命名の由来は、当時摂津一の宮である官弊大社住吉神社宮司男爵津守国栄卿が謡曲「高砂」にも記されている古来よりの名勝住の江の浜に因んで名付けられたものであります。
  池田屋



この家屋は国の登録有形文化財。
築130年以上。

右のメニュー表には、

当店は天文元年創業のお味噌屋さんです。
代表的な商品
・食べる味噌
・料理味噌(お味噌汁)
・佃煮・麹
・和菓子・おつまみ



向かいのお店はパン屋さんのようだが、昔風の家屋で趣があって面白い。
しかし、ネット検索すると、現在は休業中とのこと。



左手に西之坊というお寺があった。
門前に石柱が立つ。
右は「攝州 八十八箇所??」と刻まれている。
“攝州”は“摂州”の旧字体。

左は「方除祈願所」。
下記のサイトによると、
方位神

方除けとは、

「平安時代には、自分が行こうとする方角が凶方位である場合に、一旦他の方角へ行ってから目的地へ向かう方違え(かたたがえ)が盛んに行われた。
現在では、凶方位を犯すことによる災厄を避けるため多くの寺院・神社で「方位除け(方除け・八方除け)」の祈祷・祈願が行われる。」

つづく。



1月4日(木)06:55 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社6

この幟は、単に薬の宣伝なのだろうと思っていたが、下記のサイトによると、
うどんや風一夜薬本舗

「大阪市東住吉区に本社を置く製薬会社。
関西(主に大阪)では、江戸時代から、うどん屋が至る所にあり、名前に「うどんや」とあるのは、うどん屋でも取り扱っていたことの名残。
現在は戦後の薬事法改正により、うどん屋で薬を売ることは出来なくなっているが、ここ住吉大社の境内に、2003年「住吉大社薬局」を開設していた。」



住吉大社を後にする。

住吉大社東門から出ると、正面の住吉街道の道路脇に画像のような石造物が一対あった。
上部はほぞのように見える。
鳥居の残骸かもしれないと思ったが、ネット検索すると、下記のサイトに、
住吉区内の妙な物:ろうそく石
住吉区内の妙な物:「ろうそく石」状の石

「「ろうそく石」は石橋(石柵)の束柱と推測できる。」

尚、「束柱」(つかばしら)とは、梁や棟木の間、床下などに設置する短い柱のこと。



住吉街道(別名:磯歯津道(しはつみち))が旧熊野街道と交差する北東の角地に建つ家屋に燈籠のようなものが見える。
(赤丸印)



燈籠は“住吉高燈籠”のミニチュア。
意外と新しく樹脂製らしい。(1950年以降)

下記のサイトによると、住吉高燈籠とは、
住吉公園

「国道26号に面した所に立つ高灯篭は、住吉大社の灯篭で、鎌倉時代創建の日本最古の灯台とされる。」



更に虫籠窓の傍に何か人形のような物が見えた。
(赤丸印)

つづく。



1月3日(水)07:56 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社5

幼稚園児の作品は、まるで体操をしているように見える。


真ん中の作品はお祭りだろう。
女性っぽい。



本物の案山子かも―笑。


楠珺社(なんくんしゃ)社殿裏に生えるクスノキの巨樹。


大阪市指定保存樹。
幹周り約9.8メートル、推定樹齢一千年。

つづく。



1月3日(水)07:47 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社4

「翫物商」と刻まれている。
前述の住吉大社のフェイスブックによると、

「翫物商(がんぶつしょう)とは江戸時代から続く「おもちゃ屋さん」のこと」。



クスノキの巨樹。
住吉神社境内には、いたるところにクスノキの巨樹を見ることが出来る。
この木は、一見、枯れているように見えるが、脇から枝が出て葉っぱをつけていた。



子供たちが奉納したようだ。
三体は小学生の作品。
多分、高学年だろう。
左端の間抜け顔が面白い。
左右の二体は雨避けのビニールを被せている。



左端は幼稚園児の作品。
“おばけおに”と記してあった。



保育園児の作品。
左端はとても保育園児の作品とは思えないほど、良く出来ている。

つづく。



1月3日(水)07:45 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社3

太鼓橋(住吉大社反橋)は、“渡る橋”より“眺める橋”かも。


「北國積 木綿屋中」。
どれもこれもビックリするほどでかい。
因みに、住吉大社には620基を超える膨大な数の燈籠があるそうな。

【参考】
住吉大社石燈籠マップ - 関西大学



誕生石(たんじょうせき)。

源頼朝の子といわれる島津忠久が誕生した場所で、安産信仰の対象となっている。



その隣に生えているクスノキの巨樹。


こちらにある巨大な常夜燈も台石(基壇)と呼ばれる部分が極端に大きい。
後の時代になってつけたしたのだろうか。
石が新しく見える。(赤線の部分)

その後、ネット検索すると、下記、住吉大社のフェイスブックによれば、建立以後、何回も基壇が重ねられていた。
住吉大社 2020年8月27日

「宝暦12年(1762)に石燈籠2基が奉納されました。
この石燈籠は建立以来、文化・明治・昭和・平成と修理ごとに基壇が重ねられ、現在の高さは約9.4メートルあります。
このたび令和の御大典の奉祝と、玩具業界繁栄を祈願して基壇を増築することになりました。
今後改修工事が進められ、(2020年)11月下旬に除幕式を行う予定です。」

つづく。



1月3日(水)07:42 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社2

常夜燈。
「小間物問屋」と刻まれている。
下記サイトによると“小間物屋”とは
小間物屋

「櫛(くし)、笄(こうがい)、簪(かんざし)類から口紅、髪油などに至る婦人の装飾品、日用品などを主に商う家。
また、その人。江戸時代では、荷に背負って売り歩く行商が普通だった。小間物。小間物店。小間物売屋。」

この常夜燈、台石と比べ、燈籠の部分が小さい。
また、一つの台石から、二つの燈籠が立っている。
なかなか、他では見られない貴重な常夜燈。
あと、左の燈籠は火袋が欠けている。



こちらは文化四年(1807)の銘。
徳川幕府の将軍は十一代家斉。



岡山備前焼の狛犬。
図体が大きいのは勿論、口も大きくて迫力がある。



「備前岡山有志」の銘。


彫りが細かく重量感がある。
慶應二季丙寅正月の銘も。(1866)

つづく。



1月3日(水)07:37 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理

バッハ フーガの技法 BWV1080 マルタ・チェコ

クラシック音楽の最高傑作の一つに数えられている、バッハ フーガの技法 BWV1080 マルタ・チェコを視聴してみよう。
フーガの技法
Marta Czech

J. S. Bach - Kunst der Fuge , BWV 1080; Marta Czech
【Google翻訳】
マルタ・チェコは、1998年11月25日ヴォジスワフ・シロンスキ生まれのポーランドのクラシックピアニストです。
彼女はベオグラードで開催された第49回IJMCの優勝者です。
2022年5月21日にビェルスコ - ビアワ - ポーランドで録音。



1月2日(火)21:44 | トラックバック(0) | コメント(0) | 音楽 | 管理

住吉大社_止止呂支比賣命神社_極楽寺_方違神社1

2023年11月23日(木・祝)は、ササユリの会に参加した。
題して「熊野古道3~住吉大社から堺東まで~」。

コース
南海本線住吉大社駅_住吉大社_池田屋本舗前_津守廃寺(墨江小学校)_止止呂支比賣命(とどろきひめみこと)神社_安楽寺_極楽寺_農神社前_大和川河川敷・昼食_遠里小野(おりおの)橋_南海高野線浅香山駅前_境王子跡_方違(ほうちがい)神社_南海高野線堺東駅

画像は当日歩いたGPSログを表示。



出発地点の住吉大社駅はホームが3階、改札2階、そして1階はショップ南海となっている。
(ショップ南海=駅構内のスペースを有効活用し、集合店舗として沿線各駅にチェーン展開)
住吉大社へ向かうので、駅から東方向へ。(左折)



阪堺線の線路を横断して住吉大社表参道を歩く。


「遣唐使“進発”の地」の碑。
“進発”とはあまり聞き慣れない言葉だが“出発すること”の意。



太鼓橋(住吉大社反橋)は渡らずに左へ。(北)
北大鳥居の近くに備前焼の狛犬があるらしい。
それにしても、この橋、登山と同じで登るより、降りる方が大変そう。

つづく。



1月2日(火)06:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ウォーキング・散策 | 管理


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